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審判しちゃう

人間はすぐ審判する。

例えば、食べ物の好き嫌いが多い人、ベジタリアン、毛皮愛好家、不倫した芸能人、愛煙家、政治家、公務員などを審判したがる人は多い。

SNSの炎上は、審判したがる人によるものだ。
審判したがる人を気にして、世の中はコンプライアンスに縛られるようにもなっている。

発達障害者支援の第一人者 服巻智子先生は、審判したがる発達障害の人に「あなたは裁判官じゃない」と繰り返し諭すそうだ。
20年以上前に研修会で教わったこの言葉を、私はよく思い出す。

発達障害者じゃなくても、人は曖昧に耐えるのが苦手だし、考えたいように考える傾向がある。
審判するのは、安楽で快楽なんだろう。

相談支援を仕事にしているせいか、審判したがる支援者が苦手だ。
バイスティックは、ソーシャルワークの7原則に非審判的態度を入れている。

審判的態度は、クライエントとの信頼関係構築の妨げになるのはもちろん、支援者の視野を狭める。正しいアセスメントができなくなる。

だが、ケアマネやソーシャルワーカーでも審判し、感情的になる人は結構多い。
勝手に期待して、期待を裏切られたとクライエントを責める人までいる。

自分のために支援しているからだろうな。
そんなに立派な人ばかり世の中に溢れてるはずないのに、と冷めた気持ちで思う。

審判的な人は、感情的でもあることが多い。
あなたに審判して欲しいなんて、誰も言ってない。

あれ。
これも審判してることになるのかな。


私は離婚をして、夫婦のことなんて他の人にはなかなか理解しようがないし、他の人にジャッジされるようなことでもないと実感した。

その後に慢性蕁麻疹の治療を受けるようになり、食べ物が気になるようになって、ベジタリアンやビーガンの人たちに少し持ってた疑問を手放すことができるようになった。

皆んな色々あるんだよ。
そして、幸せになろうと願って生きてる。
批判したり審判するより、幸せを祈る方がいい。

簡単に審判せず、色んな可能性を模索したり、共感を試みたり、そんな時間が相手への愛になればいい。

それでも人は油断したらすぐ審判的で感情的になっちゃう。
弱くて、すぐに力の使い方を間違えるのが人間。

バイスティックありがとう。
人混みに流されて、変わっていく私達をバイスティックは遠くから時々叱ってくれる。

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