見出し画像

ネオ・ノーマル・サマー

 こんにちは、まつまとです。今日は日がな室内で小説を読み耽ったり、某ガンダムゲームのオンライン対戦会を眺めていたりしました。
 というわけで、ついさっき読み終えた椎名寅生『ニュー・ノーマル・サマー』の感想を書いていこうと思います。(サムネイルの絵には、勝手ながらゆかりーぬ様の「演劇制作とわたし#0」をお借りしました。届くかは分かりませんが、この場を借りて御礼申し上げます)

 『ニュー・ノーマル・サマー』は、まさにこのコロナ禍があったからこそ生まれた作品と言えます。舞台は埼玉県、大学生と社会人の混じり合った演劇サークル「劇団不死隊」が、自粛期間明けの夏にひとつの公演を打たんとする物語でした。そしてそこには、社会人も大学生もなく、ただひとつの公演を成功させようと必死に走る演劇人たちの姿がありました。

 (以下ネタバレ含む)

 この物語は、公演を打てずに終わります。より正確に言うならば、公演を打たずに終わりました。打たなかったのはもちろん、「不死隊」のメンバーの意志で、です。
 とても、とても辛いシーンでした。いささか以上に感情移入してしまったような気がするのは、私自身(1年間だけでしたが)大学の演劇サークルに入っていた経験があるためです。なのでひとつの公演を打つためにどれだけ多くの時間を費やし、他のことを犠牲にするか、自分なりに判る部分がありました。
 ただしもちろんそれは、このコロナ禍で公演中止にせざるを得なかった、今なお演劇に携わる人々とは比べ物にならないでしょう。ですのでわたしが何かを語ることはあまりにおこがましいというものですが、自分なりに感じたことを書いてみようと思います。

 わたしが所属した演劇サークルは、まあそれなりにストイックに活動していたと思います。サークルとしては週3回の活動でしたが、実質的にはほぼ毎日どこかで発声練習やエチュードをして、公演が決まればそこに各々のスタッフ活動が入ってきます。特に公演が近づいてくるとだんだん余裕がなくなってきて、ほぼ毎日朝から晩まで演劇のことを考えるようになります(おかげで成績はギリギリ進級できるレベルを維持することが精一杯でした。もちろん、好成績を修め続けている超人もいましたが……)。最もやばいのは小屋入り期間で、時期にもよりますが単位を落とすレベルのテストでもなければ基本的に小屋入りの週に授業に出ることはありませんでした。人数の少なさと個々の能力の低さを、人海戦術+成績を犠牲にしていたんですね。今思うと、とてつもなく馬鹿なことをしていたなあと思います。
 実際成績に危機感を覚えたわたしは、入部から1年でサークルを去りました。それでも卒業まで何人かは親しくしてくれて、人的な環境は良かったのだなあと辞めてから気付きましたが。

 そんなわけで、大学サークルですらひとつの公演を完成させるためにこの有様なのです。それが社会人サークルともなれば、時間も限られますし、大学の施設などが使えない分費用も高くなります。舞台監督を専任されている方とご一緒する機会もあったのですが、やはり一公演一公演が名刺代わりになることもあって責任感の強い方でした。当時何も知らないガキだったわたしには、投げかけられる言葉の一つ一つを鬱陶しく感じたものでしたが。

 だからこそ、このコロナ禍における公演のキャンセルというのは、金銭的にも時間的にも、とんでもない損失になります(この辺りは作中でも言及されていますし、Twitterなどでも劇作家の方々がつぶやかれていたりもします)。

 驚くべきことに、「不死隊」の面々は公演中止を(ある意味で)快諾しました。きっと、各々の胸にはどうしようもない感情が渦巻いていたと想像します。それでも主宰の「中止する」という決定に、誰一人表立って反論しませんでした。
 「不死隊」がそのとき共有した、「舞台はナマモノ」という感覚。お客さんが客席にいて、キャストが舞台にいて、制作が入り口でチケットを配り、役目をほとんど終えたスタッフが場内の案内をして、音響や照明、演出がいて――そういった、お客さんを含めたみんながひとつの舞台を創り上げる感覚。これはきっと小劇場に足を運んだ方、そして小劇場の中で一度でも活動された方であれば、共有できる感覚だと信じています。
 ゆえにこそ、彼らの決断が痛いほどに理解できて、その痛みの一部を共有できました。

 少し熱っぽく語りすぎてしまいましたが、ほんの少し小劇場に関わった自分でもこの『ニュー・ノーマル・サマー』には心揺さぶられるものがありましたし、もしこれを読んでいて、まだ小劇場に足を運ばれたことのない方がいらっしゃれば、まずは小説からでもいいので、ぜひ一度小劇場を訪れてみてほしいと思います。
 まあ、演劇を辞めてから(身内のもの以外は)ほとんど観劇していない自分が言ったところで説得力はないのですが……きっと、すばらしい非日常を体験できると思います。

 このnoteのタイトルは、『ネオ・ノーマル・サマー』としてみました。2021年も折り返しを迎え、ようやくワクチン接種の和が広がりつつあります。政府からの供給が滞っている、なんて話も聞きますが、それはむしろわたしたち市民が、政府の予想を超える早さでワクチン接種を進めていることに他なりません(そしてそれを支えてくださっている医療関係者の方々には、本当に頭の上がらない気持ちでいっぱいです)。
 小説の内容に沿って小劇場界隈にフォーカスしていましたが、この2年誰もが苦しい時期を過ごしたでしょう。音楽祭や芸術祭でも、中止になったイベントをいくつか聞きました。飲食店も経営の厳しいところばかりでしょうし、わたしも好きだったお店をいくつか失ってしまいました。
 でも、だからこそ、ワクチン接種が進んでいる今、わたしたちは次の時代へ目を向けなければならない瞬間にいると感じます。このコロナ禍で失ったもの、新たな教訓として得たもの、失敗したこと、少なくとも成功したこと、そういったひとつひとつを忘れずに、それでも前へ進む。
 そんな想いを、『ネオ・ノーマル・サマー』というタイトルに込めてみました。

 今年の夏から、そうでなくとも、来年の夏から。全く元通りになるかは分かりませんが、この窮屈だった2年が吹き飛ぶような明るい夏が訪れる日を、みなで心待ちにし、創り上げていきましょう。 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?