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ベゾアール展の感想(或いはセブルス・スネイプの魔法動物関連知識についての一考察)

 銀座エルメスで『ベゾアール展』が開催されるという報に接した。昨年のことだ。オランダの写真家シャルロット・デュマの作品を中心にした展覧会らしい。デュマといえばアレクサンドル父子というふうにしつけられたため、恥ずかしながらシャルロットさんのことはまったく存じ上げず、それだけでは心を素通りするような情報だったが、テーマがベゾアールとなると事は重大である。


 ベゾアール石とは山羊の胃から取り出す石のことで、たいていの薬に対する解毒剤になる、というのは常識である(『賢者の石』を読んだ者にとっては)。ロンが毒入り蜂蜜酒を飲んで死にかけた時に機転を効かせたハリーが魔法薬学の教室の棚からマッハでベゾアール石を探し当て、ロンの喉に押し込んだことで彼の命を救ったことも、もちろん周知の事実である(『謎のプリンス』を読んだ者にとっては)。ちなみに前者は魔法薬学の最初の授業でセブルス・スネイプ教授がハリーに対して「答えよポッター。ベゾアール石はどこにある? なに? 分からない? 愚かな。たとえ有名でも無知では何の意味もない。教えてやろうポッター、ベゾアール石とは……」(超訳)という文脈のなかでいった言葉だ。ここ大事なので覚えておいてください。


 そういうわけで、ハリポタのよかったシーンをいついかなる時も列挙してよいLINEのノート機能を友人と共有しているこのぼくとしては、この展示を見ずに済ませることなど出来ないという気概をもっていた。にもかかわらず、8月の会期開始からずっと行くのをためらっていた。疫病のためである。しかし会期がそろそろ終わるという12月になって、「ぼくの前世はロナルド・ウィーズリーなのだから、前世で夭折せずに天寿を全うできたのはベゾアール石のおかげだ」という気持ちが(シャブを打ったわけでもないのに)突然芽生えた。そこでどうにかこうにか空いている確率が高い曜日や時間帯を確認し、意を決して銀座に赴いたのである。

 エルメス財団は本展について「ここで紹介するベゾアールや埴輪、木馬などの品々は(中略)デュマの写真作品とともに、生の儚さをアレゴリカルに伝えてくれるでしょう」とコメントしている。銀座エルメスはこのようなきわめて高度に文化的な催しを頻繁に行うことで知られる(ところで「きわめて高度に文化的」という言い回しは文脈によって相当底意地の悪い意味になるため、皆様も任意のタイミングで使ってみてください)。デュマは、現代社会における動物と人の関係性をテーマに動物の写真を撮り続け、2014年からは日本各地で在来馬を撮影しているという。エルメスはもともと馬具のメゾンでもあるし、そういった点も共鳴したのであろう。しかしその時のぼくの興味関心は馬の写真や映像ではなくベゾアールのほうにあった。ベゾアールを、はやくベゾアールを見せてくれ。

 さてエルメスに着いた。冬の関東平野に特有の乾っ風が吹く晴れた日だった。1−7階にある商品には目もくれず、エレベータで8階まで昇る。会場には多くの馬の写真や映像作品や土偶などが陳列され、それぞれに興味深かったが、とにかくロンの生まれ変わりことぼくはベゾアール石が見たくてたまらないので、ベゾアール……ベゾアール……とうめきながら徘徊していた。どうやらベゾアールはひとつ上の階にあるらしい。いよいよベゾアールが見られるという興奮を隠しきれないまま、非常階段を上った。


 9階は8階よりも薄暗かった。展示されている写真を光の刺激から守るためだ。それがかえって、その階にある品々の神秘性を高めているようにもおもえ、興奮はいや増した。ゆっくりと馬たちのポラロイド写真を眺めながら歩く。ほんとうはもう、右斜め後ろにベゾアールがあることを知っている。視界の端にそれらしきガラスケースが見えているからだ。まだ振り向きたくない。心の準備が出来ていない。でも見なければ。これがロンの、というかぼくの前世の、命を救ったのだから。ぼくは目をつむった。マスクの下で息を鼻から吸って、口から吐く。目を開いた。振り向いた。そこにベゾアールがあった。これだ。

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 ぼくはおもった。

「想像よりでかい」

 義務教育のときにやらされたスポーツテストで使うソフトボールを思い出した。それよりもやや大きいくらいである。ボウリングの球よりは小さい感じ。 瀕死の少年の喉に押し込める程度のサイズだとおもっていたが、これでは押し込んだ途端に窒息させてしまう。というかそもそも口に入らない。

    そして非常に整った球体でおどろく。石というくらいだからもっとゴツゴツした歪な形を想像していた。よく見ると右上のそれは表面がザラザラしているが、中央の2つはつるっとしている。

 左下に並べられたごく小さい石も一応ベゾアールだとのことだが、他3つにインパクトがありすぎて正直印象に残らない。左にある頭蓋骨は馬のものだとキャプションが付いている。あれ? 馬? デュマが馬を多く撮影する芸術家だと聞いたときも不思議におもったが、ベゾアールは山羊の胃にあるものでは? ぼくはすぐ横の壁に掲示された説明文を読んだ。フランスのアルフォール国立獣医学校フラゴナール博物館からの情報だそうだ。

 動物の体中で発見される物であるベゾアール(結石)には、さまざまな種類がある。 動物の内に取り込まれた食物繊維が絡み合い、ミネラルが凝集することがある。これは植物性胃石と呼ばれ、草食動物にみられる。毛を舐める動物の場合は毛髪石と呼ばれるが、基本的に同じものである。 石は、最初の何らかの核を中心に形成され、その周囲に数層のミネラルが凝集する。膀胱や腎臓だけでなく、唾液管にも見られる。フラゴナール博物館にある最大のものは、 馬の腸の中から発見されたもので、重さは11kgにもなる。現在は、獣医によりこれらの結石を手術で取り除くことができる。
 ベゾアールには魔術の効力があると信じられ、特にイランやトルコの「山羊のベゾアール」を求める者もいた。粉末にし 「テリアカ」と呼ばれるあらゆる病を治す万能薬、特に解毒剤(プラセボ効果であったが)の精製に使用されていた。時には金の架台にはめ込まれ、王侯貴族の「驚異の部屋」に陳列されていた。ベゾアールをコップに吊るし、毒から身を守るために、 摂取する飲み物にベゾアールを浸したりもした。こういった習慣は、フランスでは18世紀末まで続いていた。 ベゾアールは、動物の死を引き起こすという病理学的な部分を除けば、特に医学的な関心を引くものではなく、ヨーロッパの 「驚異の部屋」にある典型的なオブジェといえる。 

 

 先に示した説が覆った。ベゾアールとは「山羊の胃から取り出す石のことで、たいていの薬に対する解毒剤になる」というのは『賢者の石』におけるスネイプの発言であるが、ベゾアールは馬の体内でも生成されることが判明した。なんならあらゆる草食動物の体内に(もちろん「牝鹿」の体内にも)ベゾアールがある可能性があるわけだ。しかも、スネイプは「胃」と言ったが、膀胱や腎臓、唾液管などにもベゾアールは見られることがわかった。よって、スネイプはハリーに謝罪し、このように伝えるべきである。

「ベゾアール石は馬や山羊などの草食動物の体内(胃腸、膀胱、腎臓、唾液管などの内臓)で生成される石で、特にイランやトルコに住む山羊の体内で作られるベゾアールは魔力が高く、たいていの毒に対する解毒剤になる」

 スネイプはこの他にも「河童は蒙古(モンゴル)でよく見られる」という誤った知識を講義中に学生に対して披露するという失態も犯している(『アズカバンの囚人』より)。

 誤解しないのでほしいのは、本稿はスネイプの無知をさらけ出し、彼の評価を貶めたいわけでは決してないということだ。よく聞いてほしい。彼のベゾアール石に関する知識の曖昧さ、河童に関する誤った知識。ここから導き出される仮説は、以下のようなものである。すなわち、スネイプは魔法動物関係の知識は案外疎いのではないか、という説だ(J.K.ローリングのことは今は措いといてください)。

 もちろんスネイプはかなり優秀な魔法使いである。特に魔法薬学に関しての技能や知識は卓抜している。「特に調合が難しい」とルーピンが吐露している脱狼薬を毎月作れることからもそれは明白である。さらに自分で呪文を考案するなどの才もある(例:セクタムセンプラ)。ではなぜ動物関係の知識は他の分野に比べて明るくないのか? ここで鍵となるのは、子供の頃からフクロウや猫やネズミなどのペットを(時にはパートナーとして)飼うことが多い魔法界のなかで、スネイプに関しては幼少期から青年期、そして壮年期に至るまで、まったく彼の周辺に動物の描写がなされないことである。

 つまり、スネイプはそもそも動物が得意ではなく(もしくは子供のころから動物に嫌われるような人物で)、幼少期から動物への興味関心が薄かったために、魔法動物関連の知識を得ようとする欲求がほかに比べてやや鈍ったのではないか、と推測している(繰り返しますがJ.K.ローリングのことは今は措いといてください)。動物を可愛がるという営みが彼の生活のなかにあるとはおもえないし、子供のころに屋外で動物と一緒に遊んだことなど一度もなかったに違いない。友人もいなかったので、友人のペットを可愛がったはずもない。

 ただ、彼と学生時代から交流のあるルシウス・マルフォイは後に邸で孔雀を飼うような男なので(『死の秘宝』より)、ルシウスの周辺には昔から(高価な)動物がいた可能性は高いが、だからといってスネイプがルシウスのペットを可愛がったかというと、大いに疑問である。万が一動物がスネイプの足元に寄ってきたら顔をしかめて「毛がローブに付く」とか言って離れるくらいのことをしてくれないと、スネイプらしくない。

 そんな彼であるから、動物のもつ神秘さや美しさや強さを感じることがないまま年を重ねたことは想像に難くなく、それが彼の魔法動物の知識の浅さにつながったと推察できるのである。

 またひとつハリポタについての考察を深めてしまった。スキあらばハリポタのことを考えがち。

 それはともかく、繰り返すようにベゾアールがおもったよりでかかった。ガラスケースのなかにあったのはすべて馬の体内にあったものであるから、馬より身体の小さい山羊ならば、ソフトボールではなくピンポン玉くらいの大きさになる可能性はある。また、左下にぽつんと置かれているものもベゾアールだから、もしかしたらホグワーツの魔法薬学の教室の棚にあったのもこれくらいの大きさかもしれないが、これでは「喉に押し込む」という感じが出ない。あの棚にあったのは、山羊の体内から出した石をある程度の大きさに砕いたものだったのかもしれないな。Googleで画像検索したところ山羊のベゾアールらしいものは数件ヒットしたが、サイズ感まではどうも掴みにくい。やはり実物を見てみたいものだ。

 デュマによれば「思うに、ベゾアールとは水分の不足、すなわち死に直結しているのだろう。その証拠にパリで目にしたベゾアールは大きく、その重さに耐え、生き延びた馬はいない」とのことだ。考えてみればあのような大きな異物を体内に抱えていたのだから、きっと相当な痛みや苦しみを伴って死んでいったのだろう。「おもったよりでかい」などという浅はかな感想しか抱かなかった短慮な自分を恥じた。

 しかしフラゴナール博物館が教えてくれたように今は「獣医によりこれらの結石を手術で取り除くことができる」。久しぶりに人類のことを「やるじゃん」とおもえた。

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