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最終選考レビュー③「幸福の劇薬」

『幸福の劇薬 医者探偵・宇賀神 晃』
著・仙川環(講談社文庫)

「読者による文学賞」を担当する二次選考委員たちの間で「ミステリのレビューは難しい!」という悲鳴が幾度となくあがった。

魅力のキモである「謎」に言及しない訳にはいかないが、かといって最大の禁忌である「ネタバレ」に足を踏み入れる訳にもいかない。
どうしろと言うのだ! ということだった。

こうした選考委員の嘆きを横目に見ながら、「大変だなあ」なんて他人事のように構えていた自分への天罰だろうか。まさに同じ苦しみに襲われている現在である……。

選考委員の方に「申し訳ありませんでした!」と謝意を表明すると同時に、「全部の作品レビューを書いてくださいね!」という無茶振りを、ずいぶん軽くしたものだ、と我が身を呪いたい。

人を呪わば穴二つ、とは、よく言ったものである。

とはいえ、そのおかげで71作品全てのレビューを公開した文学賞ができあがった。選考委員の方々には本当に頭が上がらない。珠玉のページなので、ぜひ公式HPを訪れてください。


……



と、これで少しは公式HPに移動し、このレビューページを最後まで読まれる方が、多少は減ったのではなかろうか。
まだ現場に残られている方は、もはや自己責任でお願いしたい。笑

気分はもう、選考委員というより爆弾処理班Aである。

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結局のところ、なぜこれだけ気を配るかと言うと、しっかりとしたミステリであればあるほど、爆発した時の衝撃は大きいのだ。

間違って「レビューによるネタバレ」なんて無作法な方法で引火させようものなら、そりゃあもう大惨事である。

つまり、それだけ今回の「幸福の劇薬」は上質なミステリであった、ということだ。


さて、それではまず、赤いコードを……、
じゃなかった、あらすじをおっかなびっくり語らせていただく。

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主人公は、大病院を追い出され、寂れた診療所で働く医者・宇賀神 晃。物語は、彼の元同僚で親友でもある明石幹彦の葬儀に参列するところから始まる。

死因は自殺。過労が理由とのことだった。

明石の上司は、傍若無人な振る舞いで有名な教授・脇本新一。彼は、認知症治療の画期的な新薬を研究しており、病院や日本の期待を一身に背負う大物の医者だった。

研究に時間を割かれ、通常業務ができる状況でなかった脇本は、それらを全て明石に押し付ける。無慈悲な仕事量に忙殺された明石は遂に自殺を……というのが宇賀神の聞いた話だった。

しかし宇賀神は、その葬儀場で待ち構えていた女性記者・美雪から、ある噂を告げられる。

明石の担当した手術に医療過誤があり、彼は脇本の指示でミスを隠蔽したのだ。その苦悩こそが、本当の自殺の原因だと言う。明石の人柄を知る宇賀神は、そんな美雪の言葉を一笑に付すが……。


と、ここまでで冒頭20ページくらいの情報。

流石にこれで「ネタバレだ!」なんてことはあるまい、と汗を拭う。

さあ、ここからが本番である。

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先に書いたように上質のミステリだった。

「医療ミステリ」ならではのサスペンス的な重さを持ちつつも、文章が軽やかで、ストーリーの軽重が絶妙だ。推理の材料となる読者へのヒントもテンポ良く展開されて、ページをめくる手が止まらない。

実際、厚くない本であることも理由だろうが、読み始めたその日に読了してしまった。

明石は何故、自殺したのか。
新薬をめぐる問題で、一番利益を得ているのは誰か。

こうした謎が読者に間断なく提供されていく。しかも、何一つ小さな解決をされることなく。ただ重要そうな情報だけが、ひたすら積み重なっていくのだ。

読者は腕の中に抱える大事なピースを、確実に増やしているはずなのだが、逆にその重さで沈むように、事件の姿をはっきりと掴めないまま、より濃い暗闇の中を進んでいく。

これが独特の不安感を煽る。
だが、暗闇の中で確かな悪意の香りが鼻をくすぐるのだ。

階段を登るように、謎を解き、次の謎へ、という月並みな形式ではなく、謎から次の謎へ沈んでいく、という構成。珍しい訳ではないが、上手く使いこなせているミステリ作品は多くないように思う。

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大体、ミステリ好きは謎解きの快感が好きな場合が多いので、ひたすら広がっていく風呂敷だけを見せられてもつまらないし、むしろ食傷気味になる。

いいかげん、ちょっとは畳んでくれよ! とツッコみたくなるのだ。

だからこそ、自分も不思議だった。謎をどんどん積み重ねていくなのに、何故ここまでストレスを感じず、いや、むしろストレスフリーに一気に読み上げてしまえたのだろう。

後から読み返して気がついた。

ちょっとテクニック的な話になってしまうが、本筋に関係のない謎も並行して展開し、そちらはちゃんと畳んでいるのである。

軽いものに言及すれば、例えば主人公の家族関係。
妻や娘との関係はどうなっているのか、と読者に少しだけ疑問を持たせ、こちらはきちんと回収する。

こうした小さな謎解きのカタルシスを別に提供して、本筋の謎を無傷のままに積み重ねていく。

あっぱれ! と叫び出したい職人技だった。

今回、選考委員のFさんは「面白さ」に加えて、「読みやすい」という点を評価して、この作品を無条件の最終選考作品に指名された。

「読みやすい」ということは、ミステリ慣れしていない読者にお勧めする際に武器になる。でも、この作品においては、むしろ通(つう)なミステリファンにとっても武器になるのではないだろうか。

腕のある料理人の一皿は、案外と地味だったりシンプルだったりする。けれど、口に運べば、隠れた技術に「技あり!」と唸らざるをえないのだ。

どの層も魅了する確かな腕を、味わってみてはいかがだろうか。

読者による文学賞の「幸福の劇薬」
作品ページ

!厳重注意!
ここからは完全にネタバレを含みます

図2

世の中には頑丈な箱で爆弾を保護し「あえて爆発させる」という爆弾処理方法があるらしい。

少しのことにも先達はあらまほしきことなり。

なる程、やってやろうじゃないか。
というか、消化不良の部分もあるので語りたい。そもそも最終選考委員として、ネタも含んだ感想を書かないでどうする!!


さて、何を隠すことをあろう。

この作品において、実は私こそが「ネタバレ」爆弾の被害を受けた一人である。

犯人は誰か。
タイトルである。

物語の重要なファクターに「被害者が偽証をする」というものがある。別にクリスティ作品をはじめ、偽証すること自体は珍しいことではないのだが、やけにフォーカスされている。

軽妙なこの小説にしては変にこだわるな、と思った。

気になってしまったら、もう駄目だ。
心当たり、ありまくりである。

「幸福の劇薬」
……そういうことである。

その上、帯の文句がまたエゲツない。
この世、全てのものは毒である ーパラケルスス」

もう、答えそのものである。なんてことをしてくれたのだ!!

こうなると、サブタイトルの「医者探偵」というとこにさえ、ツッコみたくなってくる。どこに「探偵」の要素があったのだ!

違う! 宇賀神ではない!
一番重要な謎解きをしたのは、有能おばちゃん・春奈さんである。

「医者探偵・宇賀神 晃」ではなく「会長探偵・瓦田 春奈」と書くべきではないのか。

先のレビューに嘘はない。確かに上質なミステリだと思う。謎の構造だけに寄りかからず、演出でも読ませる見事な文章・展開。

重い現代のテーマを扱いながらも、小説の軽やかさを傷つけない絶妙な力加減。確かな筆力あってこその小説だと思う。

面白かった。
だからこそ余計に悔しい。

まさに『幸福の劇薬』。

ある意味では、拍手を贈りたいくらいに見事なタイトルである。


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