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星の旅人たちへ

映画『星の旅人たち』を観て感じたこと


目的・意味は崇高だ。
目的が物語をつくる。
でも、物語が終わったときに気づく。
目的は、目的じゃなかった。
物語はまたそこから始まるんだ。
だから…

目的に向かって、目標に向かって進め。
そのプロセスが、また目的を生み、物語を生む。

あなたが信じているものを信じればいい。
信じているもののために動きなさい。
その行為が、また新しい信念をつくりだす。
夢は現実になる。ほんとうになる。
「あなた」は「私」のために動き、
「私」は「あなた」のために動いていく。


【参考記事】わたしたちはみんな星の旅人です。| いつも上天気


書きかけのポエムは神様の導き


ふらふらと道の真ん中を歩いていると、ひとりの神様が現れて「こちらの道を歩きなさい。こちらの道は多くの経験と結果という豊かさがあります」と言って左の道へ導いた。言われた通りに左の道を歩き始めると、刺激的でわくわくした気持ちになった。そして、それからしばらくすると今度は窮屈で息苦しくなり歩けなくなった。そしてまた真ん中の道をふらふらと歩き始めた。するとまた別の神様が現れて「こちらの道を歩きなさい。こちらの道は多くの…

春積みダージリン水出しはグループによって味が違うことがわかり、次元がやや歪んだ。


私は書きかけのポエムを完成させない。

未完成だからこそ、私がいま進むべき道がわかるので。


ジャストモーメント・ビーカー

福岡で話していた最高の瞬間。

「0歳の目が見えてるか見えてないのか位の私をお父さんが抱っこして長野の美しい山を指さして、ほうほうと、言ってみせようとしてくれていた、愛に溢れたこの瞬間」

ビーカーの外で実験しているほんとうの私は、ビーカーの中で実験されてる私に対して、お父さんとの思い出のような愛に溢れた瞬間を体験させようとしている。

対になっている私の魂は、愛に溢れている。


自己の開示と透明な存在


私が透明であろうとした理由。
意図的に隠す。嘘はつきたくない。
だから、隠す。言わない。
自分がないように見せる。透明になる。

ただ流れるままに現実を受け入れよう。
目の前にいる人のあるがままを受け入れよう。
それでいいと思っていた。

でも、透明だと味がない。匂いがない。
人の記憶に残らない。
だって実態がないから。
その人らしい色がないから。

人は忘れていく。
みんな私を忘れていい。

それは本当?

透明な存在で隠して相手を試す。
なんて卑怯な行動だろうか。
忍者かお前は。

透明な自分の色を…
透明な人たちの本当の色に…
かつて透明だった人たちの色に…

あらゆる人の心の機微に触れたい。
その為には透明じゃないといけないと思っていたけど、そうじゃない。

人間を深く理解したいならば、信頼し向こう側にいる自己を、己の真髄を、開示せよ。



透明の定義と純度

「あらゆる人の心の機微に触れたい。その為には透明じゃないといけないと思っていた」

「透明」とは?

「純度100%の私でいること」=「純度100%のあなたでいること」

すべての神経を、相手に集中させること。
私の知性・認知の罠をすり抜けて、相手に全集中すること。

そのとき私は透明になる。

私は、相手を深く知るために自分のすべてを差し出すことができる人。

私はどんどん透明になっていく。
私の純度はどんどん高まっていく。

やがて、私はあなたになり、あなたは私になる。

だから私は、言葉より感覚に従う。
相手の身体的反応、行動で答え合わせをする。
それを繰り返し純度を高めていく。
すべての神経を相手に集中させる。

相手がどのように感じ何を求めどうなりたいかを知るために。

私がどのように感じ何を求めどうなりたいかを知るために。


新しい信念

私は今まで仕事、生活を通してそのような作業をしてきました。認知のフィルターを出来るだけフラットに、原理原則を知るために様々な情報を取り入れてました。理解できない事、なぜ?と思う事は色々と調べることが必要だった。でもこれという信念は持ってこなかった。自分を枠にはめそうで嫌だったから。

それはそれで、よい人生を歩んできたと思うのですが、違和感を感じる事で、目的や世界観を言語化する時期が来たってだけなのかもしれないですね。

いま思えば、僕はエゴの塊でした。自分のことばかりでした。なんも分かってないのに分かっているフリをして、相手になんとか気に入ってもらおうとしていたサイコパス野郎です。でも、そろそろそこから抜けられそうです。純粋に分かりたいって思い始めてるから。

誤解を恐れず言ってしまおう。

「はいそうです。まともじゃないのはお互いさまです」


無我夢中とワンネス

「義」は神にささげる犠牲(いけにえ)として備えるために羊を我(のこぎり)で切る形。我は鋸(のこぎり)の意味。我の形は元々、刃にギザギザがある鋸(のこぎり)を意味する字。それが一人称の代名詞である『われ』として使うようになった。後に鋸(のこぎり)がつくられた。

「義」は羊+我で構成されている。犠牲(いけにえ)には牛偏が使われているが、牛はいけにえの中で最も重要なものとされていたので、牛偏がついた。『牲』は生きたまま供えること。生きたまま供えることは原則であり、その後、神聖な食物として祭祀の参加者に分け与えられたのかも(撤饌・てっせん)。

我は『のこぎり』。義は生きていた羊(いけにえ)を切り分けていく。羊はそこら辺にいた羊ではなかったろう。大切に育てた羊だったかもしれない。それを我(のこぎり)で分けていく。想像外の痛みも感じたかもしれない。

我で一つからみんなへと分け与えられる。我(が)は全体から個になった時だ。

無我というのは、切り離すことないもの。

ワンネス感覚。

無我夢中はワンネスそのもののフロー。

そこで感じること、触れて泣いてしまうくらいに愛おしさや温もりが伝わってくるもの、受け取ってしまい、共鳴してしまい、お互い言葉にできないけど確かにある感覚という事実。

世界にそれが含まれているものを見ていくのが、人間ができること。

人間にしかできないこと。

私は人間として、思いきり生きる。


ワンネスの涙

さっき、5年間お世話になった直属の上司と会ってきました。常に自分が正しくて、それゆえ自分の間違いを認められず卑怯でずるい人でした。敵を作り1人で戦い続けた末に退職勧奨を受け、会社を去りました。なぜだか私のことを気に入ってくれてたけど、私はずっと嫌いでした。ずっと見下して見ていたし一度だって味方につくようなことはしなかった。直接やり合ったことも何度もあるし上司のいないところでも悪態をついていました。

でも、いざ最後のお別れになると、感謝ばかりしか出てこなくて。別れ際は抱き合って泣き合いました。悲しいのか嬉しいのか何だかよくわからない涙でぐちゃぐちゃの66歳と44歳の男女が、稲毛駅のロータリーで「本当にありがとうね」と何度も泣き叫びながら抱き合っていました。

「意図せず急に溢れてくる何か」

会う前にきっちりと境界線を引いてきたはずなのに、一瞬にして飛び越えてくる何か。

でもきっと明日には忘れてしまって、またきっちりと境界線を引き直す。

何かと何かが危うくも両立している、この世界のお話。


陰陽の融合


混沌とした宇宙、世界の中で、愛を見ようと、本質を、全てが共通しもっているものをみようとしているのが、ナウシカなんだろう。

陰陽どちらもある、というより、まじっている。

スーパーマリオのマリオの視点でそれをみると、陰陽だの正誤だの、と、わけてしまうけど、プレイヤー視点でいくと、どちらも必要、どっちも素材であることに変わらない。どっちか、というのも、ないのだ。だから、わたしはワンネスも、きめないのがピンとする。

どっちも存在していていいし、どっちも1つのパズルのピースにちがいない。ドットなのだ。どうあっても、共通したベクトルが必ずある。だから存在しあっている。


操作することによる抵抗、操作されることへの抵抗。『抵抗』もまた、操作する・させるものへの、抵抗した・する側の"操作"なのかもしれない。

存在しているというのは、愛、エネルギー、熱があるということ。どんな瞬間でも、宇宙の外側にいる、わたし(渡し)。


自然と作為

「陰陽どちらもある、というより、まじっている」

物質と反物質。対消滅。

自然。

すべてを包み込んでいる言葉。

自然は、人間の作為でさえも包み込んでいる。

でも、人間は人間の作為を自然なものと思っていない。それは人間の作為さえも自然と言ってしまうことに恐れがあるから。親鸞聖人が「悪人正機」を説いたときと同じような混乱が起きるかもしれない。

でもそれは自我を「私」だと思っているから。情報が、解像度が、足りていないだけ。


決定論と自由意志

人間は根っこでつながっているから、分かれていても大丈夫。半径5メートルの世界にある、自分の足元にある真実を見つければ大丈夫。自分が信じたいと思うものを信じればいい。

それぞれの世界、それぞれの宇宙。
ひとりひと宇宙。

あなたが私のために動き、私があなたのために動いていく宇宙。透明になっていくことで、美しい色が生まれる世界。私の純度が高まることで、あなたの才能が花咲く社会。

私たちは自由であり決定されている「いま」を生きている。

みんな星に生まれて星に帰る。自然に生まれて自然に帰ってゆく。運命は完璧に決まっており、それでいて完全に自由だった。

私たちは決定論的世界観を受け入れながら、自らの自由意志を許可して生きていける。

知性を持ちながら、感覚に従って生きていける。

「人間は、何かと何かが危うくも両立しているこの素晴らしき世界を、楽しむことができる存在です」

そのことを、5人の私は、ひとり静かに思い出した。



※この記事は以下の仲間と開催した読書会の記録です

とらこ


なかぎし


みねバーグ


星のトビラ


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