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写真をたまには撮ることにした
たいていの趣味というのは、継続的に向上することができない。継続的に向上しなければならないということはない。ただ、継続的にうまくなりたいという気分があるのにそれができないと、なんとなく悲しい気分になる。
ヘッダーの写真は、私が昨日撮影した謎の鳥である。ここに、高度な写真技術はなんら生かされていない。鳥の名前もよくわからない。鳥を撮影する人たちは、鳥の名前をよく知っている。そういうの、ちょっとすごいなと思う。
特別な技術を持たない私であるが、最近はなんとなくカメラを――押し入れに眠らせていた一眼レフを――持って外に出て、おもしろいものがあったら撮るようにしている。
私がデジタル一眼レフのカメラを買ったのは10年前くらいだったと思う。高校、大学と一緒だった友人Oがずいぶん写真の上手なやつで、私もいくらかの関心を持ったから、中古のそれを買ったのである。レンズはその友人に安価で譲ってもらった。
Oに教わるなどして、いろいろなものを撮った。構図のことやシャッタースピード、絞りのことなど、いろいろうまく教えてもらえた気がする。一方で、レンズの何ミリから何ミリのような用語はさっぱりであったし、そういうことを親切に教えてくれることはなかった。これは私の教わり方が悪かった。見栄を張ってしまうのか、なんとなくわからない部分があっても生返事をするところがある。
その後、何度か撮影散歩に出るなどしてたくさん撮ることもあったのだが、日々の趣味として定着するということはなかった。
ところで、Oはアニメも好きだった。Oの家で、録画したアニメを一緒に見るようなことが何度かあった。Oから薦められたアニメのなかでは、「響け!ユーフォニアム」がおもしろかったような気がする。
ある日も、私はOの家に遊びに行った。
そこで、継続することはたいせつだよねなどといった、ありきたりな話になったのだが、私は口を滑らせた。
「カメラを持って外に出る習慣もなかなか身に付かないな。」
しまったと感じた。Oは苦笑していた。
私は心のどこかで義務的な感覚を抱いていたことを、表明してしまったのである。それは、善意でいろいろ教えてくれたOに対して申し訳ないことのような気がした。
別にその出来事で私とOとの間に亀裂が走ったなどということではない。ただ、そういう苦笑を見ると、私のほうもなんとなく情けない気分になった。うまくなりたいと思っているし、やっているときは楽しいのは間違いない。
しかし、そうでないときは義務的に、重圧を感じてしまうのはどういうことなのだろう。そして、そういうことはなく、きわめて素直に楽しみ、向上できる人間がいるのだ。Oはそれである。
そういうコンプレックスのようなものは長年私を引き留め続けている。ただ、それはしかたのないことだとも思う。性格は性格なのだから、テクニカルに乗り越えていけばいい。
そもそも、うまくならなければと思って足が竦んでしまうのが私の数々の活動における停滞の理由の大なる部分である。教科書的なものがないので、途方に暮れてしまう。いや、本気であれば教科書的なものは世の中に溢れているんだけどね。結局ものぐさなのだ。
そういうわけで、技術のことはいったん全くわきに置いて写真をちょこちょこ撮ろうというのが狙いだ。何も考えずに、おもしろいものを撮ろう。そのうち興味が湧くだろう。そうなれば、元来勉強は嫌いではないのだから、いろいろなことが向上していくだろうとも。
最後に、本日の朝食の写真を示す。
最近は、フルーツグラノーラを食すことが増えた。なんとなく炭水化物以外の栄養がとれそうであるし、牛乳が同時にとれるのも良い。カルシウムをとるとイライラしにくくなると聞くし、日本人の多くはカルシウムが不足しているとも聞く。私もカルシウムを取れば、ちょっとはさまざまな活動に粘り強く取り組めるのではないかと期待している。
また、昨日の残りの味噌汁も食した。味噌汁とフルーツグラノーラはあまり合わないのだが、朝、温かい味噌汁を食すとけっこう幸せな気分になれる。
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