出産前に思うこと



一年前。
流産手術後で死んだようにベッドの上で寝ていたゴールデンウィーク。

それから一年後の今。
4回目の移植で着床してくれた君。
臨月を迎えた今、ボコボコと容赦なくお腹を蹴り、きまぐれで突然のしゃっくり。
いつ会えるのかと毎日愛おしいゴールデンウィーク。


5月3日、おりものまじりの出血があった。

すぐに「おしるし」と分かった。
それからややソワソワし始めた。

だけどそれから特に体調の変化はない。。。


noteを見返していた。
同時に、妊娠期間の約10ヶ月も振り返る。

キツかった悪阻。
…憧れていた悪阻。

胎動で起こされる深夜。
…構わん。どんどん起こしてくれ。眠い。

まさかの後期悪阻で最後まで吐き気との戦い。
…胃を圧迫するほど大きくなっているんだ。

名前が決まらない。
…夫婦でこんな悩みが出る日を想像しただろうか。

こむら返りで何度も起きる。
…妊娠後期という実感。眠い。

ベビー用品を買い揃える。いただく。
…周りへの認知、信じられない。現実なのか、怖い。



妊娠中、キツイこともあった。
ただ、不妊治療中の方が私は断然キツかった。


悪阻の件はあとから色んな人に話すと、
「キツイ方だね。」「よく耐えたね。」
と言われたので、おそらくしんどい方だった。
体重も増減を繰り返していた。我慢強い方だと思っているので、それが良くも悪くも悪阻期間を乗り越えた感ある。ふと、入院した方がまだ良かったのかもと思う。

それでも、
不妊治療と比べたらまだまだ大丈夫だった。
(※注意:あくまでも個人差のある話です。)



不妊治療中も含めて、
1番キツかったのは採卵前の1週間。

忘れもしない、
腹痛。便秘。吐き気。
妊娠6ヶ月くらいの膨れ上がったお腹(妊娠してないのに)。
タイミング悪く、追い打ちをかけるような出産妊娠報告。

二度とやりたくないと思った採卵期間。


けど、あの高刺激の採卵を耐えたから、
たくさんの子(受精卵)が生まれたし、流産したけれど第一子の我が子にも出会えたし、今のお腹の子にも出会えた。


どこまでいっても結果論でしかないけれど、
不妊治療、諦めなくて良かった。


諦めた頃にやってくる、なんて言う人いるけど、
それはなんか違う。
やっぱり諦めきれなくてもがいてもがいて、期待はせずとも、心のどこかで信じることが大切だと思う。
精神論だけを語るならば。

4回目の移植の時、
なにか特別なことをした訳でもない。
だから、本当に何が良かったのか今でもわからない。

妊娠するため、
これがいいよ!あれがいいよ!
なんて、簡単に言えない。



妊娠期間中、
不妊治療について色々と聞きたいと、多方面から相談にのったりもした。
「私は妊娠中だけど、大丈夫?妊婦をみるのが辛くなければ…」
これがお決まりの私なりの配慮だった。

妊娠中の今でも、周りの女性たちの目線が気になる時がある。
もしかすると、また妊婦だ…とか、マタニティマークがキツイな…とか思われているんじゃないか、本当にごめんなさい。って、今でも思う。
(何かあった時のために、赤ちゃんや自分を守るためにマタニティマークは付けている。)

謝ることじゃないと分かっていても、
申し訳なく感じることじゃないと分かっていても、
この気持ちは一生消えない。
その気持ちが痛いほど分かるから。
気持ちと行動伴ってなくて、矛盾してるけど。。。



自分はどんな出産をするのだろうか。
陣痛ってどれくらい痛いのかな。

不安はある。
なのに、期待も同じくらいある。
やっと我が子に会えるから。


理想の出産。
つい最近T先生が言ってたけど、理想の出産とは
「母子共に健康であること、これを超えるものはない」と。

私もそうだと思う。

そこにたどり着くための不妊治療。

やはり不妊治療のゴールは母子共に健康な出産。

ある意味スタートでもあるけれど、
まずは赤ちゃんを抱いて、ゴールに立ちたい。

陣痛は赤ちゃんに会うためのエネルギー。
一緒に頑張ろうね、赤ちゃん。



8ヶ月目から「まとの」でTwitterはじめました。

Twitterユーザー名
@ma_to_no_120


くだらないことも呟いたりしてます。が、
その時の思いを呟いています。
不妊治療が終わったら、今後はこちらのTwitterをメインに育児アカウント用で使用予定です。
もしTwitterやられている方がいましたら、フォローください。


p.s.
最近泣いた話。
推しの子、アニメ1話の後半で号泣……


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