幸せの報告について思うこと

今回も、腹黒まとの。参上。



あるnoteを読んだ。

その方は、海外に住んでいる方で、30代後半。
妊娠を機に日本へ帰国するらしい。

妊娠報告と帰国するから会いたいということを同級生たちのグループラインでしたところ、1人だけ返事をくれて、他は既読のみ。もしくは、既読すらならない。と。

そのことに対して、
「とても悲しかった。」と。

「この年齢なら色々あるのだろう、だけど1人だけの返事、既読すらならない。悲しい。」と。




みなさんは、どう思いますか。




その方の感情を否定するつもりはないですが。

なんなんでしょうね。

帰国するから久しぶりに会えるという喜びも相まったのでしょう。
うんうん。




私はそのnoteにモヤモヤしました。






全員が他人の幸せを願えないと思うんですよ。

それが例え友人であっても。
場合によっては、身内でも。

正しくは、願いたくても、
願えない時がある。



不妊治療を経験している人なら、
悲しい。では終わらないと思います。


悲しい。…けど仕方ない。

と、なると思う。
少なくとも私はそう思う。

(自分なら、そもそも同級生のライングループに帰国することは言っても、わざわざ妊娠の報告までしないけど。)


既読スルー、既読すらしない、
その人の気持ちが分かる。私は。

いや、もちろん不妊だけではない、
色々な事情があるのだろう。

しかしながら、
不妊治療を通して、さまざまな想像ができる。

人生には、色々ある。

努力でなんともならず、
絶望感に支配される時もある。

またか、めんどくせぇ。
ってなってる人もいるかも。




人は何故、
他人に幸せを願ってほしいと思うんでしょうか。



自分が幸せなら、いいのに。

さらに言うなら、
自分の幸せを心から願ってくれると確信できる人、例えば旦那さん、親。
その人たちだけに幸せの報告をしたらいいのに。

さらに言うなら、
本当に報告が必要だと思う場面や人に、伝えるだけでいいのに。



不妊治療をしていなかったら自分もそうなる可能性を秘めている。
と思うと恐ろしい。

そういう意味では、
プラスとは思っていないけど、経験値に感謝はしたい。


考えても時間の無駄なので、
私は自分の人生に集中したいと思います。


幸せを比べても仕方ない。
辛さを比べても仕方ない。

自分が幸せと思うなら、それでよし。

自分が辛いと思うなら、辛い。
その感情もありのままを受け入れる。
自分の感情を否定しないこと。




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