見出し画像

MATOI'sCAFE〜人に委ねる、について語らおう〜

MATOI'sCAFEとは、2023年3月からはじめた無料のオンラインルームです。
毎月1回、zoomでひとつのテーマについて、現在はインタビュー形式でお一人おひとりのお話をうかがいながら行っている少人数制の座談会です。
会によりますが、内容を一部抜粋しご紹介致しております。
4月のテーマは
『人に委ねる、について語らおう』
でした。
委ねるとはいったい何か、ひとりの参加者の投げかけによりかなり深掘りでき「腑に落ちる」結果に辿り着くことができたように思います。予想以上の奥深い話に参加者の方々もたくさんの感想を寄せてくださいました。
内容の一部を抜粋してご紹介します。

*ー の後は主催者からのコメントです


ー 「委ねる」について、3つのタイプがあるように感じます。
・人に委ねるのが苦手でなんでも抱え込んでしまうタイプ
・人に委ねられてばかりで負担が増えてしまうタイプ
・人に委ねてばかりで自分で解決できないタイプ
みなさんはご自分がどのタイプだと思いますか?

Yさんの想う委ねるとは

Yさん:私は典型的な「委ねられない人」です。
人に何かを頼むのであれば自分でやってしまった方が早い。
人にお願いするのが苦手。
なぜ委ねられないのかなと考えると「人を信頼できてない」のかな。
自覚はないけれど、もしかしたらそうなのかなと気づいてからは「人を頼る」というのを意識的に心がけるようにはなりました。

ー 委ねられるようになったきっかけは何かありますか?
委ねられないことが原因でトラブルはあったとか?

Yさん:なんとなく相手を頼りにしていたら離れていってしまった経験があり、それからちょっと人に対する恐怖心を持つようになってしまって。
でも「本当はみんな頼ってほしい」という話を聞き、人は頼られると嬉しいのかと思ってからはちょっとずつですが頼ることに意識を向けるようになりました。

ー 委ねられるようになって何か変わったことはありますか?

Yさん:気持ち的に自分に余裕がでるようになりました。
今までひとりでしていたことを誰かに頼るようになって、時間的にも気持ち的にも余裕が生まれました。
いろんなことに対しておおらかに見れるようになった気がします。

ー 頼った人が離れてしまったというのは最近はないですか?

Yさん:最近はないです。

ー 離れるって特別なことではないと思いますよ。
委ねられたからではなくむしろ自然の摂理というか。
なので今委ねても離れていかないのは、Yさんに対して信頼があるからなんじゃないでしょうか。

Yさん:確かに最初はそういう離れていくという概念がなかったので、そこにこだわりがあったのかもしれない。

Mさん:「委ねるとはなんだろう」と思ったきっかけありますか?

Yさん:大きなきっかけがあったというよりは積み重ねの中で「委ねられない自分」を感じていたと思います。でも人を教育していく中で気づいたというか、委ねられたら楽になれるのになって思っていた気がします。

ー 人に委ねるのがうまいなあと思う人はいますか?

います。その方は、自分でもできることをあえて頼るようにしていて、でも実際はよくみている。頼っても放ったらかしにしていないように思います。
また、人の話を聴くのがうまいと思います。
相手の理由をしっかり聞いた上でアドバイスをしてる。
頼りながら頼りにされているなと感じます。

ー ありがとうございました


気が付きましたか?
「委ねる」について話をしていましたが、委ねるの他に「頼る」「お願いする」ということばも同じ感覚で使っています。
筆者も気にせずに進めていましたが、違和感を持っている参加者のおひとりが委ねるの定義について投げかけてくださいました。


Uさんの想う委ねるとは

Uさん:委ねる、委ねられる、委ねられない、私はどれにもあてはまりますね。場によって変わります。
委ねられないケースでは私が舵取りします。
任せられる場合は任せます。
空いた時間でやりたいことできるかというとそういうわけでもなくて、空いた時間に別のこと頼まれたりしてますね。
任せられたときは任せられると思ってもらえてるわけだから「よっしゃやるか」という気になります。
なので、場においてですね。

ずっと聞いていて思ったのですが、「頼る」と「委ねる」とは別じゃないかな。
委ねた先は、相手がどう判断しても何が起こっても委ねたわけだから、例え想定外のことが起きたとしても委ねた以上は仕方がないと思う。
想定できることは回避できるように準備する。
頼って自分が期待する結果を求めるのと委ねるのとは違うのかなと。

Mさん:なるほど、私が先ほどした質問では「委ねる」を「甘える」や「任せる」という意味合いで話してました。今の話を聞いていたら「委ねる」ということばをちゃんと掘り下げないと違う捉え方になってしまうなということに気づきました。

ー 私もどちらかというと甘えるとか頼るという捉え方で話していたなと感じました。ありがとうございました。


いくつかの辞書を調べたところ
「委ねる」は、すべてを任せるという意味で、自分の意思や決定・行動などすべてを他人に託す、ただ任せるより全面的に相手に託すという意味合いが強い。
「頼る」は助けであったり、依存するという場合に用いられる。
「甘える」は可愛がってもらおうとする、わがままに振る舞うなどとあった。
つまり、頼るや甘えるとは「誰かに何かしてもらおう」という他力本願の要素を感じるが、委ねるには相手に対する信頼、責任の強さを感じる。
Mさんのおっしゃるように使い方次第で相手の捉え方が大きく変わることばだと改めて感じた。


Cさんの想う委ねるとは

Cさん:委ねられないです、私。
委ねられるほど人間ができてないなって思います。
仕事を人にお願いできるようになりましたけど、委ねてはないかな。

ー 「委ねる」の境界線ってどこなのでしょうね。人に任せるとき「ここまでは任せるけど、ここからは任せられない」つまり全部は任せられないってことですよね。

Uさん:自分にしか判断できないときは他人に委ねられないですよね。コントロールできない、自然とか神様の領域というかそういう場合は委ねないですよね。

Cさん:腑に落ちました。私にしかできないことは委ねられない。最初はなんでも自分と同じにできなければ他人に任せられないと思っていたのですが、それだと限界があって。明確に最低限このラインは守ってくださいよって伝えて、そこから先は委ねるしかない。そういうことですね。

自分のやりたいようにしかできない性格で、でもそれだと幸せにしたいと思える人の数が増やせないんだと気づきました。手放さなければならないものと守るべきものの境目で葛藤したときに「ここはもう任せよう、委ねよう」と決める。
でも信頼できる人にしか委ねられないですね。
技術がある人という判断ではなく信頼できる人であるかどうか。

ー 信頼の基準って何ですか?

Cさん:愛があるか、誇りがあるか、ですね。

ー 魂が入っているかどうかですね。
ありがとうございました。

Mさんの想う委ねるとは

Mさん:人に甘えられないタイプでお願いされたことは全部やってきた人生でしたね。まとめ役が多く学級委員などもよくやってきたのですが、仕事で1000人以上の人をまとめるという役が回ってきたときに、さすがにひとりでは無理だと他人にお願いする、任せるということを学びました。

先ほどのお話で「委ねる」とは、例えば神とか天とか宇宙に対して「甘える」とか「任せる」とはいわないですよね。「神に委ねる」となりますよね。
つまり「委ねる」とは尊いことばだなと感じました。
そして最終的にはみな他人には委ねないと思うんです。
自分以外は委ねられないんだなと思いました。本気で生きているから。
人に期待しないわけではないけど、お尻は自分で持つというか、生きていくために過程の段階で任せることはある。そんな風に思いました。
いろいろな視点で考えることができて勝手にスッキリしていました(笑)

ー 最終段階を完璧にするために、他人に委ねられない、自分にしかできないところを完璧にするためにその他の部分を他人に委ねるでしょうね。
すべてはそのためなのかもしれないですね。最終決断は委ねられないけど、途中段階は目をつぶる。

Mさん:ことばって深いですね。

ー 本当にそうですね。
Mさんは座談会後にも感想をくださいました。

Mさん:誰かに委ねることができる人は、最終自分の選択で進み、自分の責任の範疇で物事を決めている人だなと。熱(覚悟)と愛を持って。
その覚悟を持っている背中を見ているから、委ねられる側(頼られる側)も、「はい、喜んで!」と、応えたいという熱を持つ。
愛と情熱(覚悟)と信頼関係で成り立つものなのだと、感じました。
その温度感で、言葉や表現の仕方が変わってくるのらかもしれませんね

ー ありがとうございました。

座談会を終えて

「委ねる」のことばの持つ意味を深く捉えずにテーマにしてしまったことで、むしろ深い座談会となれたこと、参加者の方のやさしさを感じました。

委ねるとは、全面的に任せるということ。
大切なのは、委ねた先に何があろうと受けとめる覚悟を持てるかどうか。
だとしたら、委ねる側に大きな責任がある。
・すれ違いのないよう明確に伝える
・伝えた内容を理解できているかを確認する
・委ねる相手の力量を把握する
・予想できる失敗、起こりうるトラブルに対処する準備を整える
そして何より、
・委ねる相手を信頼する。
この確認作業をおろそかにすれば、委ねた側も委ねられた側も大きな傷を負いかねない。
同時に、決して委ねられない領域を持っているかどうか。
プロの領域とは「委ねられないところにある」

ことばの理解を深めることは、物事に対する理解を深め奥行きのある生き方につながる。
これからのテーマでも、ひとつ一つ丁寧にことばと向き合っていきたいと思いました。


いかがでしたでしょうか?
座談会は1時間でありながらとても有益なお話を伺えていると感じています。
このまとめ記事は抜粋ではありますが、誰かの何かの気づきになれば主催者として光栄です。

MATOI's CAFEは4〜5名の少人数制で開催しております。
募集はこちらお知らせにてご案内します。
ご興味ある方はお問い合わせくださいね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?