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社内失業した話

今年、仕事の1番の変化は昇給したことだ。
それまでは私メインの担当案件とベテランの先輩のヘルプにつき、業務の采配を上手くコントロールされて仕事をしていたのだが、先輩が退職されることになりもうひとりの先輩と後任がこないまま働いていたら、膨大な業務量となってしまった。入社した経緯が他の人とは異なるので内心抑えていたが、給与明細を見て考える。退職された先輩の引き継ぎ業務が部署で共有されてさらに自分の事を考えた。

で、話は飛ぶ。いくつかの会社を渡り歩いたが、辛かった経験の一つがタイトルに繋がる。
アウトソーシング系の企業カラーに詰んだ。業務を分業化して独立させる基本の流れがある。ブースも同じ社員でも行き来はできない。本社が東京にあり、ここから仕事が振られ、数名でチームを組まされ働く。心臓部は本社なので、取引先とビジネスメールを交わすこともない。営業部は本社にしかなく、事務的な部署は隣の駅ビルにある。純粋にパソコンだけで完結する仕事。
仕事は業績ではなく稼働率と言われていた。これは業界用語あるあるだそうだ。
本社のリーダーが采配した仕事をチームリーダーと一緒に担当者を決める。
私は入社して早々しく戦力外となり、一月に一度提出する分析レポートと、朝と夕方にある、簡易レポートだけが仕事であった。
無駄を除外し効率化を求め続けた結果、私は一日中座ってパソコンメールを眺めているだけの人になってしまった。仕事内容は全て共通メールで流れるので、回りから聞こえよがしに嫌味が聞こえる。チームリーダーに仕事はないかときき、無い。とやり取りをする。上長が数名いたが何も言わない。
あとから彼らは左遷組と知った。
業界自体この現象をよくあるケースと言われていたが、求人を探すにあたってキャリアカウンセリングを受けたら、どうも企業としてかなりアウトに近いと指摘されることになる。
チームからも外され、上長直属の管理下となって完全に孤立した後、雇い止めとなった。すぐに有休消化に入らないといけない状態だった。
メンタルクリニックのソーシャルワーカーから仕事は会社に既存するので、責任は会社にあります。ダラダラと後任が決まってからだと有給も満足に消化できなくなる。今後の自分もこともあるからと最大でも5日だけ譲歩して休みに入ってくださいとアドバイスを受けた。この方にはその後も大変お世話になった。ハロワ勤務経験者で仕事関連の話は専門分野だったのだ。そうでなければ丸1か月以上の有休が無くなるとこだった。さすがにお金も絡むので、この時ばかりは会社に対していい人を辞めた。チームを外されたのに10案件くらい手元に増えていた。手順書を描き、私がするのはここまでです。と上司に伝えた。情けは無用。私は首になるのだから。

冒頭の話に戻る。
過去の経緯もあって大分低く自分をジャッジしていたのだが、今の会社から何度か表彰されたの上での現在なので、悩んだ挙句今年の春先月報に書いた。現状の業務量を細分化して書き、専門性がかなり必要な事や手取りを伝えて。長く働く事を希望していることも。

月報に書く事を後押しした本を最後に貼る。

今日は長文でした。お休みなさい。


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