私は人よりも死を恐れすぎているのかもしれない

人間は本質的に、喜びなどのポジティブな感情より、不安や恐怖などのネガティブな感情を持ちやすいと言われている。

はるか昔の狩猟時代、不安を感じやすい人=命の危機にいち早く気づける人が生き延びる傾向があったため、今でも人間は不安を検知しやすくなるメカニズムになっているらしい。
狩猟時代だったらそこそこの生存率を誇っていたのだろうが、現代の日本において、私は不安アンテナの感度が少々高い気がする。

更に言うと、私は他人よりも死に繋がる妄想が激しすぎるのだと思う。
例えば…

・今は自覚していないが実はすごく大きな病気を抱えているのではないか
→ちょっとでも不調があると命に別状があるのではないかと思ってしまいパニックになる

・階段を降りている間に足を踏み外して頭を打ち首の骨が折れてしまうのではないか
→実際に何回か足を踏み外してはいるけど奇跡的に助かっている。怖い

・立体駐車場を登っているとき、壁に向かってアクセルを踏み落下するのではないか
→立体駐車場の屋上でも同じように、突然気が狂って壁をぶち破って落下する妄想もよくしてしまい怖い

・歩道橋を渡っているとき、突然背後から殺意を持った人がやってきて道路に落とされるのではないか
→柵が腰の高さくらいしかない歩道橋はマジで怖い。思いっきりタックルされたら一瞬で終了するのが怖い

・ビルの高層階にいるときに地震がやってきて、ビルの倒壊に巻き込まれるのではないか
→仕事してるとしょっちゅうこの妄想に取り憑かれる

・ジェットコースターのレールが壊れて、猛スピードで地面に叩きつけられるのではないか
→これが怖くてジェットコースターに乗るのがめちゃくちゃ怖い。早さの恐怖より死のリスクが圧倒的に大きすぎる

・バンジージャンプの紐が首など体の一部分に絡まり取れなくなる、風圧などで壁に激突するのではないか
・スカイダイビングでパラシュートが開かない、または絡まり、そのまま地面に落下するのではないか
→ジェットコースターと同じで、娯楽としての楽しさが死のリスクを上回ってて本当に怖すぎる

・コンセントが壊れていて、抜き差しの瞬間に感電するのではないか
→プラスチックで絶対に覆われている安全なところを掴むようにしているけど、それでも毎回怖い

・お風呂に入っているとき、意識を失い溺れるのではないか
・お風呂から出たときに心臓や血液に負担がかかり、そのまま起きられなくなるのではないか
→裸で死ぬ恐怖も相まって怖い

・電車の踏切を待っているとき、または駅のホームで立っているとき、電車が到着する瞬間に殺意を持った人が私を突き飛ばしてくるのではないか
・人混みの多い道を歩いているとき、通りすがりで腹や心臓を刺されるのではないか
→世の中狂人だらけだと思って生きすぎているのかもしれないけど、本当にこれをされたら一瞬で終了するのが怖すぎる

上記は一例だが、こんな感じで日常のあらゆるシーンで常に死のシチュエーションが次々と浮かんでくる。そのたびに息が詰まり、挙動不審になってしまう。
日常生活に支障が出ているわけではないが、ちょっとのきっかけで不安になってしまうので、少し困ることが多い。

夫に対しても、同じような要因で死にやしないか不安になってしまう。

特に夫ひとりで車で出かけるシチュエーションは本当に怖い。
夫の運転する車の助手席に乗っていると、運転中の不注意などでヒヤッとする場面によく出くわすので、いつか私を置いて盛大に事故を起こす時が来るのではないかと思ってしまう。

もし夫が車で事故を起こすときは、私も同席していたい。どうせ死ぬなら夫と一緒に死にたい。
私ひとりだけが生きてしまうことは、私が死ぬことの恐怖を上回る。
夫の心臓が停止したときは、私の心臓も連動して停止させてほしい。一緒に楽にしてほしい。将来はそういう技術を開発するエンジニアになろうかな。

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