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適正世迷言_01

かつて定期的に訪れていた世迷言、要はそれは単に人生における諸事迷いや悩みの類のアソートなのだけど、先の鬱からの復活でもってそれらとは完全に決別したかと思えていたのだけど、どういうわけか、例えば今の会社の設立七年目を迎えた今となって、なんとも怪しい波長の乱れを無視できない夜をごまかせない様です。年の功が奏して出どころを見失う程の思考コンプレックスに陥りはしないものの、心当たりのある範囲で、約七年前にこの身に深く刻んだはずの生きる道標とは違う、いわばトラップに陥りがちな近頃を時に鬱的に過ごしてしまうわけです。

過去に経験のない大きなスパンでのこととはいえ、俯瞰で見ればそれは多少以上の痛みを伴うループには違いないため、時に恐怖心にやられがちな夜もあります。それは短期でのリカバリーがまだ有効であることを意味すると同時に、短中期的な範囲でのなんらかの修正をしないと重症化もありうるという意味でもあると観ます。それ程多くない心当たりへのアプローチが必要です。


一旦区切りますがその前に一つだけ。


書くという行為で繋いできたと思われる自分なりの適性は、やはり書くことでしか維持できないのではないかと思います。だから、どんな言い訳があろうとも書いていこうと思うのです。いつまでたってもリアリティ不足という自分のナルシストぶりには嫌気がさしますが。万事意見書、そういうものには実は興味がないようです。統合失調症的文学、興味があるというより、これが正しい自分自身の様に思えます。

(つづく、かと)

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