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俺は殺し屋になる。

映画「レオン」をみた。一言で表現するとマチルダ。題名はレオンだけど、名作たらしめているのはマチルダ。その輝きを際立たせる漆黒の背景にある汚職麻薬捜査官スタンスフィールド。
映画の象徴である観葉植物のパキラは、太陽が上がれば窓辺に置かれる規則通りの日常から、命からがらの危機を乗り越え大地に根を下ろし生きる。

俺は殺し屋になる。スティングの「Shape of my heart」を聞いて感情移入が生じた。音楽や映画の力の源泉は美しさにある。大切なものを命を懸けて守る姿勢が伝わってきた。

マチルダのその魅力は、役と役者の統合である。統合とは才能、そして努力。マチルダの環境には、麻薬の売人で娘を蹴飛ばすような父と、その継母、意地悪な姉の下で暮らしており、寂しさを抱えた弟がいる。そのような環境で生きることの辛さをマチルダ役のナタリーポートマンは体現している。また、レオンが毎回牛乳パックを二つを買うという要点を抑えつつお使いを買ってでる機転を効かすことができる。レオンと泊まろうとするホテルの受付では、字の読み書きができないレオンが困ってフロントマンに怪しまれたときに「お父さん、私に書かせて」と父とその愛らしい娘という役で場をつくってしまい、その輝きを放つ。

俺は殺し屋になる。秋葉原事件が起きたのは2008年。彼のやり場のない怒りが形になって現れた。マチルダも父親、継母、姉に囲まれてやり場のないものを抱えていた。同様の環境の中で弟は姉であるマチルダに甘え、マチルダにとっても掛け替えのない存在だった。踏みにじってはならないものが人それぞれにある。
悪徳麻薬捜査官のスタンスフィールドはそれを踏みにじり快感を味わう。スタンスフィールドの狂気と怪演が示すものも大きい。観たくない現実に目を背け、観たい現実に焦点を当てる。苦味は大人の味である。


映画を通して、麻薬密売組織という裏社会であろうとも「生きる」という主題がある。日向の方が有利であっても日陰でも挫けずに生きる。ほんの束の間だけど、愛という日射しが差すときがある。それさえも遮られる。それでも、今も昔もそして未来も主題は「生きる」。

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