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女性であることの生きづらい婚活

もうだいぶ前の話になるけれど、当時勤めていた職場の元同僚とその幼なじみの女性とわたしの3人でご飯を食べに出かけたことがあった。彼女(その幼なじみの女性)には留学経験があり、日本の短大を卒業してすぐにアメリカに渡って大学へ進学した。専攻は薬物乱用の研究に関わることで、インターンシップの研修の際にはカウンセリング専門の実習生として薬物依存の患者とも面会交流して。でも彼女自身は元依存症者でもドラッグの経験者でもなかったので案の定というか、薬物依存の面会者からは「おまえは薬物を使ったことはあんのか。ないんだろ? 薬物を使ったこともないおまえに何がわかる」と言われてしまって。

男性である筆者が「女性であることの生きづらさ」をテーマに妊娠や出産に関わる婚活の話をする動機として、留学先ですごくタフな経験をした彼女を引き合いに出すのも(専門的に勉強していた人だからなおさら)おこがましいのだけど、男性側の「ある無自覚な言動」で多くの女性が苦しんだり気持ちを重くさせたりしている実情を声高に発信すべきじゃないかって感じていたんですね。「男のおまえに何がわかる?」という声があることは承知の上で。

わたしがかつてマッチングサイト(アプリ)を利用して婚活していた頃、自分のプロフィール作成画面には将来子供がほしいか/ほしくないかの選択項目が設けられてあることがよくありました。

勝手な想像なのですが、半数以上の男性は「ほしい」を選択し、半数以上の女性は「ほしい」あるいは「わからない」を選択しているのではないか。そしてその「わからない」は「ほしいかどうかわからない」なのではなく、「本当に自分が産めるのかどうかがわからない」なのではないではないかと想像するわけです。

わたし自身「自己紹介欄」には「できれば子供はほしいと思っています」という文言を記していました。ある女性とマッチングしてメッセージの交換を開始したときその女性から「『できれば』の一言に少し気持ちが軽くなった」と打ち明けられたことがあって、彼女もわたしと同様に結婚後は子供をもうけることを望んでいたのですが、はたして自分が本当に産むことができるのかものすごく不安だと言うんですね。

おそらく、そうした気持ちに駆られている女性は少なくないと思うんです。最近になって不妊の原因は男性側と女性側それぞれ対等の割合であるということは広く認知されつつありますが、とはいえ、多くの女性が男性と比べてより多くの責任と精神的な負担を抱えながらその原因として向けられる眼差しにひっそりと耐えているであろうことは想像に難くありません。

ある年齢をむかえた大人が「自分の子供がほしい」という感情(願望)を抱くこと自体を否定する人はきわめて少ないと思います。いっぽうで、自分が望めば授かるものだという軽はずみの感覚で、たとえば男性側が相手の女性の心情を推しはかることなく大した信頼関係も築けていない段階でそうした願望を口にするのは、ものすごく憂慮すべきことじゃないかと思うわけです。

年齢と妊娠・出産との憂鬱

インターネット上で閲覧できるさまざまな情報のなかに、当然年齢別の妊娠・出産リスクに関するものもたくさん出回っています。たとえば35歳以上の初産を「高齢出産」と位置づけて、それ以前の年齢と比べて妊娠中や出産のときのリスクが高くなることだったり、加齢にともなう精子や卵子の老化であったり、5歳刻みでの年齢別自然分娩率(?)だったり、とくに「子供を望むカップルの間にどれくらいの割合で実際に子供は誕生しているのか」のような統計であらわされる情報に関して、女性の皆さんがご自身の年齢とその図に示された数値を見比べながら一喜一憂する気持ちの振れ幅は、男性のそれとまったく比にならないはずです。

「すべての日本国民は法の下に平等」であっても、私たちの人生は不公平なことの連続です。男女の自然な営みによって、あるカップルには子供は授かるし、あるカップルには授からない。すごく残酷な話ですが、それはまったく不公平なことであり、まったくよくあることだから。

では私たちはいったいどのようにして自分の身に起こる、ときに残酷で、ときに不公平な望まない現実を受け止めれば良いのでしょうか。

子供が誕生するというのは、蛇口をひねれば水が出るという話ではありません。身近な愛する女性の命がけの偉業であり、われわれの計り知りえない神秘、"神様の秘めごと"です。どうしてあのカップルには授かって私たち二人には授からないの?と考えるのはそもそも意味のないことなんですね。本当に。すごく残酷だけど。だって自分たちの手の届かないところにその授からない理由があるのだから。神秘的な出来事なのだから。

もう少し身近なことで言えば、子供が授かるか授からないかはそのカップルの巡り合わせによるものです。たまたまあのカップルには授かって、私たち二人には授からなかった。それ以上でもそれ以下でもない。遠くない将来、たとえ期待する結果にならなくとも"女性であるあなた"がご自身を責める必要は一切ありません。自分たちの巡り合わせの問題なのだってことを強くおぼえておいてくださいね。

「男性が女性に代わってあげられない育児は母乳をあげることぐらいだ」と言われるように、男性は実際に子供を産むことも母乳をあげることもできません。実際に「女性」は子供を産めるはずなのに「彼女」は今のところ子供を産むことができない(理由はなんであれ)。そんな女性を精神的に支えるのは"男性であるあなた"ですよね。注意深くお相手の女性を観察して、いまの気持ちを共有してください。耳を澄ませて彼女の話を聞いてあげてください。言葉を交わさなくとも「そばにいるよ」という感情は絶えず届けてあげてください。本当に。

子供を持たないことの憂鬱

またまたマッチングサイト(アプリ)で出会った女性の話になりますが、彼女のプロフィール画面の将来子供がほしいか/ほしくないかの項目には「ほしくない」が選択されてありました。高校生と親密に向き合うお仕事をしている彼女は、日々彼らと接しているうちに出産や子育てにたいして悲観的になり「現実問題として自分の子供を育てるのはムリ」という結論に達したそうなんです。

勝手な推測にすぎませんが、妊娠適齢期にいる女性が「子供はほしくない」と意思表示することは心理的にかなりキツいことだと思います。少なく見積もって世のなかの大半の男女は「できれば子供はほしい」と願っているのではないかと考えるからです。一定数の男性から奇異の目で見られるか距離を置かれるかの可能性があることを承知の上でとても誠意ある態度ですよね。「わからない」の選択項目があるなかで、とりもなおさず、自分は子供を望まない女性であると相手の男性に誤解を与えてはならない、という彼女なりの責任(覚悟)の表れだったと思います。

いまのわたしの勤め先には、20代前半で結婚して夫婦間で子供をもうけない選択をした40歳半ばの同僚がいます。「お互いもともと子供が好きではないから」がその理由らしいのですが、彼本人はともかく、奥さん側の真意はわかりません。しかし、それもまた覚悟のいる決断ですよね。きっとまわりからは「子供はまだか」「どうして作らないのか」というような質問を幾度となく浴びせられたのではないかと想像します。少なくとも日本の社会において、「結婚したら子供はもうけるもの」という価値観は根強くあるはずだから。その彼が「子供は作らない」と決めていることにたいしてべつの同僚は「○○さんって変わってますよね。自分の子供ってふつう可愛いでしょ」と彼のいないところでわたしに陰口をたたいたのですが、彼は(もしくはそう選択している人は)本当に変わっているのでしょうか。

結婚することが自由意思であるように、子供をもうけることもまた本人次第です。外野がどうこう言おうとも、こうした彼/彼女の決断は尊重されるべきです。「子供を持たない自由」を選択したはずなのに、まわりから不自由を強いられるというのはなんとも不憫なことです。

本当は子供を産みたいのに婦人科系の疾患が理由で子供が産めない女性の場合もまた、同じような質問/回答のやり取りでうんざりしているに違いありません。本当にお気の毒だと思います。

そして、「ふつう」ってなんなのでしょうか。大多数から外れてしまうと、それ以外はもはや普通であることではなくなるのでしょうか。

たとえば、性同一性障害を持つ人たちの存在や同性婚、選択的夫婦別姓の問題など、時代の進行とともに世のなかの多様性を積極的に受け入れていこう、変えていこうとする流れは確実に目のまえにあります。彼らやそれら問題はマイノリティー(少数派)かもしれないけれど当たり前の存在であり、価値観です。もはや普通ではないこととしてはじかれるのは時代遅れだし、単なる偏見に過ぎません。

男性が本当の意味で優しくなること

婚活をやっていた頃、男性であるわたしはちょくちょく自分の年齢や容姿、年収の額などを気にしていたのですが(多くの女性が相手の男性に求めるのは、実際にはある程度の年収以外に清潔感や包容力だったりするのですが)、女性は女性であることがゆえに、妊娠と出産適齢期の問題を抱えていることを男性はまず理解しなくてはなりません。

子供を望まないカップルの方々に関しても(わたしのような立場で発言するのは甚だおこがましいですが)、それこそ二人のさらなる強い結びつきが必要になるかと思います。「子は鎹(かすがい)」の子供を持たない選択をしているわけだから。

くどいようですが、男性は子供を出産することも母乳をあげることもできません。女性であることのそうした部分を実感することができない以上、つきなみだけど、まずは男性の皆さん優しくなりましょう。皆さんがそれなりに性格の優しい方なのは想像できます。

ただ、本当の意味での優しさって、自分のこれまでのこだわりを捨ててお相手に差し出すことだと思うのですね。

自分ひとりの趣味のための時間を二人で過ごすための時間に変えたり、将来増える家族のために乗ってる車を居住性の高いワンボックスカーに買い替えたり(←あくまで、"たとえば"の話ですけど)、慣れない洗濯や料理に挑戦してみたり、自分自身の都合だけを優先させずに、お相手の立場や状況や心境、心情を感じ取って(ときにちゃんと話し合って)譲ったりシェアしたり差し出したりすることが包容力のある男性の姿ではないでしょうか。

そうした時間やお金、決定権(価値判断)などをお相手に差し出していくなかで「女性であることの生きづらさ」が少しずつ溶解していくように思います。

カップルがどのような形態であっても、二人の間に安心感や信用/信頼感が失われると他人同士の関係なんてとてもあっさり崩れるものです。婚活は婚前活動であっても、その先に結婚があり、長い共同生活があります。お相手の実情と自分たち二人の現在地に目を向けてお互い愛情のようなものを積み重ねていきたいものですね。

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