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結婚生活はポイント制である

家事や育児やその他諸々、結婚生活において男性が女性に代わってできないことは唯一「子供に母乳をあげること」だと思うのですが、それ以外はいちおう男女平等に家事などを担えるわけですね。

とはいえ高いところや重い物をもつ仕事のようなことは男性が率先してやるべきだとか、料理や洗濯などは女性がやってくれるとありがたい、とかの「潜在的な」価値観は、たぶんあると思います。理屈でどうこう言っても無意識に相手に求めてしまいますよね。

すごく恥ずかしい話、たとえば食事の後の皿洗いを私が引き受けた場合、きれいに要領よく終えたとき、妻から「ありがとう。助かりました」と言ってもらいたい自分がいます。言われないんだけど。でもそれって裏を返せば、「皿洗いは本来女性がやる仕事」って私が思っている証拠ですよね。すごく恥ずかしい。

だからというわけではありませんが、私はつねづね自分がやれることはやれるときにやるようにしています。皿洗いや風呂掃除や子供の面倒や食器用洗剤などの日用品の購入や車のタイヤ交換やその他妻が苦手にしているようなこと全般です。正直、すごく打算的なものです。自分が率先して自分ができることを今このときこなしていると、近い将来自分が家で楽したいときに大目に見てもらえるかもしれないから。いやらしい話、そのかけ引きですね。

控え目にいって、結婚生活は目に見えないポイント制で成り立っていると思います。数では数えられないんだけど、お互いなんとなく重量で感じられるポイントです。その重さを見誤ると大変なことが起こる、それです。

過去の恋愛において「男性は『名前をつけて保存』、女性は『上書き保存』」という名言がありますが、「自分がされて嫌だったこと」の記憶に関しては、その男女の価値観はまったく逆じゃないかと思います。

私には2歳離れた姉が一人いるのですが、小さい頃いつもその上書きされない過去の記憶にたいする嫌味をずっと言われ続けてきました。そのときなにがあったのか具体的なことは忘れてしまいましたが、その後私が反省して改善できたことも「あのときはこうだった」と繰り返しその嫌な思いをしたときの記憶のことを責め立てるのです。「いまはもう違うでしょ」とこちらが主張しても埒(らち)があきません。彼女にとっての嫌な記憶は「名前をつけて保存」されたまま一生(とまでは言わないけど長期間)残り続けます。

結婚生活のことに話を戻すと、私がなぜポイント制であることを意識しているかというと、その「あのときはこうだった/こうしてほしかった」と後になって妻から言われたくないからです。その言葉を口にさせてしまった時点で、夫である私は窮地に立たされます。たいていの言い訳は通じません。弁解無用とはこのことです。

だから私はいつも妻がどういう家事や育児を担っているか観察するようにしています。本当は妻にやってもらいたいんだよな、と思うこともやれるときはやります。そして「やってもらって当たり前」という感情だけは持たないようしています。お互いさまの精神ですよね。口に出せないことは多々ありますが、やってくれてありがとうとも言えるようにしたいですね。

働かざる者食うべからずという格言がありますが、働く気がない者は結婚するべからず、ですよね。本当に。

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