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自意識過剰な婚活

足かけ10年の婚活を通じて何人の女性と顔を合わせたのか、いまとなっては数えられない数字なのだけど、「きっとあのときのあの彼女はこのことを目にしたりするたび、きっと僕のことを思い出すのだろうな」と、自意識過剰な気持ちになる事柄がある。

なんてナルシーな奴、と思われたかもしれない。

しかしですね、私たちの人生において「それ」を目にしたり耳にしたりするたび、その日のことだったりまわりにいた人や物事だったりを半ば強制的に思い出すことがある。幸か不幸か、好むと好まざるとにかかわらず、「そう言えば」的に。そして、わざわざ手帳や日記などにメモしておかなくともウィキペディア(Wikipedia)にさえ掲載されるような情報であるため、さかのぼって日付を調べることもできる。婚活を通じて経験した私のそれは、2013年11月3日に起こった。

小柄で可愛いらしい雰囲気を持つ和田さん(仮名)が地元のショッピングモールの宝くじ売場前にあらわれたのは、当日の17時頃だった。親戚筋のおばさんの仲介でセッティングされたその約束は、ご近所さん同士の会話がきっかけだった。「うちの娘にだれか良い人いないかしら?」的なやり取りで顔を合わせたのが、当時32歳(だったかな?)の和田さんというわけだ。

約束の時間が時間であったため、私は夕食を一緒に食べることも考えていた。いくつかのお店の候補をピックアップして、彼女と会ってからどこで食事をするから打合せしようとしていた。

そのときの私はまだ理解していなかった。初めて会う人、とりわけ、メールやLINEでさえもやり取りをしたことがないお相手とは、正味30〜60分程度の顔合せのみの時間にとどめておいたほうが良いことを。「また会って話してみたいな」という印象を相手に残すことが大切なのだと。

はっきりした根拠は説明できない。
グリコのプッチンプリンに例えるなら、あのレギュラーサイズだからこそ楽しめる美味しさがある。「まだ物足りないな、また食べたいな」という、それである。ビックサイズだと食べ飽きるのだ。

和田さんは私と会って開口一番、当日のそれからの予定のことを告げた。今日は30分程度の顔合せだけにして、後日またゆっくり時間をもうけておしゃべりしましょうよと。というのも、その日の18時からプロ野球日本シリーズ第7戦、楽天イーグルス対読売ジャイアンツの試合を控えていたから。自宅に戻ってテレビで観たいんですよね、と。

私自身、その試合のテレビ中継のことはよく把握していた。それを観たいがために待合せの約束をべつの日にずらせないものかと考えたくらいだ。でもまあ、略式の見合いみたいなものだしと、定刻どおりに観たい気持ちは胸の奥にしまっておいた。

しかし、である。
目のまえに同じように楽天イーグルスの日本一初優勝のかかった試合を観たい人がいる。それまでの日本シリーズの流れ、レギュラーシーズンに史上初の同一シーズン24連勝を記録した田中将大投手が前日の第6戦でまさかの敗戦投手になったその翌日の最終戦である。ふだん野球に興味がなくとも地元東北のそれこそ宮城県に在住している人間ならたいてい興味のある一大イベントだ。ましてお互いプロ野球ファンならなおのこと。

そして私は、今後とりわけお相手の女性にとって最悪な思い出となる、取り返しのつかないお誘いをしてしまう。もし良かったら球場近くまで行ってパブリックビューイングで一緒に観ませんか、と提案してしまったのだ。

もちろん観戦チケットは無く、ただ球場(当時のKスタ宮城)に隣接する陸上競技場のトラックを会場に、無料のパブリックビューイングを開設していたのを私は知っていた。400km以上離れた東京ドームで行われている試合ならまだしも、楽天イーグルスの本拠地は自宅から車でたった1時間の距離にあって、日本シリーズの空気を、熱気を現場近くで実際に肌で感じたかったのだ。

その話を振ると、彼女は少し考えた末、「うん。いいですよ」と返事をした。私もわざわざ誰かを探して誘ってもなとは思っていたので、これは渡りに船だな、と喜んでしまった。

結果、われわれは会場から1kmくらい離れたコイン駐車場まで私が運転する車で移動し、陸上トラックの一角に持ち込んだレジャーシートを広げて巨大なスクリーンに映し出されたそのすぐ向こう側にある球場内の試合の映像を前に観戦した。

会場までの車のなかで、途中何を話題に話していたのかほぼまったくおぼえていない。唯一思い出せるのがお互いの血液型の話題で、私は和田さんがB型であることを一発で当ててしまった。なぜだか彼女は自分が真っ先にB型の人間と見られていたことがショックであったらしく、その後の車内の空気は重苦しくなった。

そのためだけではないだろうけど、終始私たちはよそよそしく、同じ時間を本当の意味では楽しめないでいた。肝心の試合は、田中マー君伝説の2連投で読売ジャイアンツに競り勝ち、悲願の日本一という最高の結果に終わっても、われわれの空気は「やりましたね!初優勝ですね!」みたいな社交辞令の形式的なリアクションであったと記憶している。

本当に申し訳なく思う。
私が気まぐれに誘わなければ、彼女は自宅のテレビの前で家族と一緒に思い出深い野球観戦をできたはずなのだから。

帰りの車のなかで、彼女と何を話したのかそれこそおぼえていない。時間も時間だったのでゆっくり晩ごはんを食べる流れにさえならず、「それなら」と、帰路にあるモスバーガーのドライブスルーで何か適当に買っただけの記憶はある。本当に申し訳ない。

後日、仲介してくれたおばさんから、先方からの「お断り」の返事をもらった。元自衛官であるお父様の「初対面の娘を夜中まで連れ回して」という理由もそのお怒りに含まれていたらしい。

ともかく、残念なことに、あれから10年が経とうとする現在も楽天イーグルスが日本一になったのもリーグ優勝したのもいまのところその年が最初で最後である。「ふたたび東北に日本一を」みたいな過去の映像がテレビに映し出されるたび、第7戦当日の田中マー君の勝利の瞬間の雄叫びを目にすることになり、それと同時に「あの日あのとき近くの陸上競技場にいたんだよな」と和田さんのことを思い出して不憫に感じてしまう。

きっと彼女もまたあの日の映像などが映し出されるたび、私のことを思い出し後悔の念を抱き続けていることだろう。自意識過剰かもしれないけれど、いまでもそう忘れないでいる。

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