占います。その①

数学を生業にしていることもあって、基本的には理系的思考が自分には向いている気がしている。論理的にっていうほどではないにしても、それなりにそういうふうに物事を順序立てて考えるのが好きだし、何かとコストパフォーマンスを重視したりもしてしまう。(例えば袋のお菓子を買うときに1gあたりの値段を計算したりとか。それはただのケチ?) かといって目に見えないものをすべて信じていないというわけでもなく、文系科目で考えられてきたロマンあふれる部分も好きである。そもそもは理系か文系かといった二項対立ではなく、どちらもうまく混ざり合う調和があり、世界はバランスでできてるよね。だから栄養も勉強も偏ってはいけない。

さて本日は、そんな私が気になっている占いについて考えてみたいと思う。新年早々いかがわしい仮面(1000円もあれば作れそうなやつ)をつけた人が「今年の運気」なんて芸能人相手にいたるところでしていた。違う番組で同じ人が占われていたりしたのかまでは把握できていないが、バッティングした場合同じことを言うのかな?実際に昨年度の番組を見返して確認したわけではないが、昨年のことをどこまで当てることができたのだろうか。

本当に未来を予言できる能力が存在するとしたら過去、現在、未来は映画の完成したフィルムのように繋がって存在していて、それをなぞっているだけになるのだろうか。それともカメラで撮影したように、そのときどきのみを切り取って言っているのだろうか。数学的に例えるならグラフの極値のみに占いしたときのレーダーが反応するとか?でも僕がこのあとわざと誤字を打つことも、打たないこともできる。そこには僕の自由意志が存在しているように感じるが、それも潜在的に決められたものだったとしたら言い逃れはできない。(決定論ってやつね。)そもそも地球全体をみたことがないからどこまでも信じることは難しいが、やっぱり一人ひとりにフィルムが存在しているなんて想像できないし、他人の影響だって受けて未来のフィルムは変わっていくものだと思う。(し、思いたい。)

やっぱり占いというのはなんとも不思議なものである。よく言われるのが「自分にあっていると思うもののみを信じて、あたったと勘違いしてしまう」なんてのも聞いたりする。そう考えたら占いは自分にとっていいこと(いいことの価値観は人それぞれだが)のみを抽出したものを聞いているだけになる。悪いことだって先回りできてると思えばいいことと同じ価値。占い師には未来の自分なんて見えてなくて、ただいいことを言ってくれるそれっぽい人になりそうではある。ここまでくるともはやカウンセリングと同じようなものな気がしてしまう。不安なことに対して嬉しいことを言ってくれる人だもん。占い師はカウンセラーというか、アドバイザーくらいの感じか?今のところ。

とりあえず保留。追記するかもしれないですね。

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