ちゃぶ台はひっくり返されてなんぼ。

反証可能性…「誤りを確認できるということ」であり、「科学的理論は自らが誤っていることを確認するテストを考案し、実行することができる」という科学哲学の用語である。

いつだって確かなものや正しさなんて言い切れるものはなくて、そのときどきで自分がそれを自分なりに引き受けて生きていかないといけない。
いろんなことに対して、ピタッとハマる答えはなくて、そのときどきでこれかな?って考えて、それを常にアップデートしていくことが生きていくことなんだろうと思う。科学でさえいつひっくり返るかわからないし、10年後には教科書に書いてあることが全然違うことになってるかもしれない。(鎌倉幕府の設立の年号とかが変わったみたいにね) でもそうだからこそ生きていく面白さがあるとも思う。これはこう、それはそう、ってどんどん答えを当てはめていってしまったら人生は本当につまらないものになってしまう気がする。そうやってどんどん答えを固めていってしまうことは人生に対しての諦めに繋がっていく気がする。年齢の割に若々しい人には自分の人生に対する貪欲さがやっぱりあるような気がする。成熟するって言うのはただ歳を取ることで得られるものではなくて、常に自分の中身と向き合い、自分ってものと対話し続けなければそこには辿り着けない気がする。自分の人生に対しても、反証可能性を持ち続けなければならない。常にちゃぶ台の上で議論は繰り返されており、ふとした瞬間に星一徹にちゃぶ台をひっくり返してもらうのだ。一徹される(ひっくり返される)可能性があることが人生の楽しさでもあるのだ。ここぞと言うタイミングの一徹もあれば、なんで!?ってタイミングの一徹もいるだろう。それが一徹なのだ。理解しようとしなくていい。
 
こうしていけば幸せだ。みたいなレールに乗って、それに流されることが正しいんだ、そうすれば成熟できると生きていくことを選ぶと、あっという間に見た目も老けていく気がする。自分の人生を生きることを諦めて、自分の人生の目的や目標を(血の繋がりはあれど)他人のためにするのは違うと思う。また、そこまで思えないのなら結婚もすべきじゃないし、子どもも作らないほうがいい。悩み続けることこそが成熟につながっていく。

プライベートでは自分の人生の大きな分岐点が迫ってきていますが、どっちに転んでも自分のためにはなる。ただ楽しい方に行きたいよね。今日も頑張ろうー

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