不便さの恩恵。その①

基本的に不便なものを便利にしていくために発明、研究が日夜行われている。(単純な興味もそこにはあると思うが) そうやって新しいものが生まれてきたからこそ、人類はここまでくることができた。もちろん僕も人間なのでこうやってどんどん便利になるのはありがたいが、それが正しいことだとは思ってはいません。地球とか、自然にとってはいいことばかりではないですからね。まぁ何をもって地球にいいって決めるのかも無理なわけですが。地球はしゃべらないし。

そんなふうに便利になっていくと、やはり副作用はある。階段しかない時代よりも脚力は落ちているだろうし、蛇口の時代よりも握力は衰え、外で遊ぶしかない時代よりも子どもの体力は落ちている。(年々小中学校の体力測定の結果は落ちている) どれも便利になった副作用でもある。よく宇宙人の予想図として描かれるグレイは頭だけが大きく、手足は細い。それは進化した人間だって説とかもあるしね。便利になりすぎるのも考えものである。

わからなかったらインターネットですぐに検索すればいい。
誰かと同じ気持ちを共有したかったらSNSで検索する。
暇だったら動画サイトや映画を観る。

今まで苦労したことが簡単にできてしまう分、一つひとつの価値も下がってしまってる気がするなぁと。
不便さの中にある良さ、遠回りする良さを大切にしていたいね。

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