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希望が前にあるとが限らない!

希望が前にあるとは限らない

「希望が前にあるとは限らない。希望が目立つところに輝いているとも限らない。希望とは対象ではなく、あなたの行動の名称だと私は思います。

この言葉は、希望の本質を多角的に捉えたくて考えてみました。私たちは、希望を輝かしい未来や達成すべき目標のような、具体的な「対象」として捉えがちです。

しかし、真の希望は、そうした目に見えるものそれ自体にあるのではなく、むしろ地味で目立たない場所にひっそりと存在している可能性もあると思うんです。もっと言えば希望とは、私たちの行動そのものに宿る「可能性」なのかもしれません。

脳科学から見る「希望」とは

脳科学の視点から見ると、「希望」は、脳内の報酬系と深く結びついているそうです。報酬系は、ドーパミンなどの神経伝達物質を放出し、私たちに快感や満足感をもたらすシステムです。何かを達成したり、目標に近づいたりしたときに活性化し、私たちを次の行動へと駆り立てます。

しかし、希望は単なる報酬を期待することではありません。困難な状況にあっても、未来への合理的かつ整合的な展望を持ち、行動し続ける力を与えてくれるものです。これは、前頭前野の働きと関連しています。

前頭前野は、思考、計画、意思決定をつかさどる脳の司令塔ですが、将来を予測し、目標を設定し、その達成に向けて計画を立てるにはこの前頭前野の能力が欠かせません。つまり希望を持つ上で不可欠な脳の部位で、この部位の働きこそが人を人たらしめていると言ってもいいと思います。

哲学における「希望」

哲学においても、「希望」は重要なテーマとして古来から扱われてきました。古代ギリシャの哲学者、エピクロスは、希望を「未来の善に対する喜び」と定義しました。一方、ストア派の哲学者たちは、希望を過度に抱くことを戒め、現在の状況を受け入れることの重要性を説きました。

そもそもの理由は希望は未来にある想念的なものではなく、今この瞬間に存在し、それは自分の思考スタイルによって明確に表すことができ、また現実的な行動によって具現化するものだと考えられたからです。

例えば、5年先に希望が持てたとしても、明日、寿命が尽きたならば、5年後の希望には何の意味もありません。しかし、今の時点で希望を見いだし、それを具現化させることに行動の焦点を合わせることができれば、5年後は気にする必要はありません。

また、現代哲学においては、希望は「存在論的」な概念として捉えられることもあります。つまり、希望は単なる感情や思考ではなく、人間の存在そのものに関わる根本的なものであるという考え方です。

ドイツの哲学者、エルンスト・ブロッホは、希望を「まだ」という概念と結びつけました。希望は、まだ実現していない可能性、まだ見ぬ未来への開かれた姿勢を意味するとしています。

非常口、バックドアとしての希望

冒頭の言葉にあるように、希望は必ずしも目立つ場所にあるとは限りません。むしろ、非常口やバックドアのように、普段は意識されない逃げ道や撤退路の中にひっそりと存在していることもあるのです。

それを言い表した言葉がまさに「逃げるが勝ち」「逃げるは恥だが役に立つ」などという言い回しではないでしょうか。

これは、私たちが日常の中で見過ごしがちな、小さな可能性や選択肢を象徴しています。困難な状況に直面したとき、私たちはつい目の前の課題や難題に囚われ、がっつりと組み手をしてしまい、本当の意味の解決策を見失いがちです。

しかし、そんなときこそ、意識を周囲に向け、普段は気づかないような出口や抜け道を探すことが、実は重要だったりすることは多いと思います。

普段は気づかないような出口や抜け道は、新たなスキルを身につけることかもしれませんし、今までとは違うコミュニティに飛び込むことかもしれません。あるいは、自分自身を見つめ直し、新たな価値観を発見することかもしれません。

こうした一見取るに足らないような行動の中にこそ、希望の扉を開くパスワードが隠されているかもしれません。もっと言えば、そう考えること自体が既にその場をしのぐ新たな希望となっていることに気づかれたでしょうか。

あなたの行動の名称としての希望

希望は、受動的に何かを待つことではありません。希望は、能動的に未来を切り開くための行動そのものです。困難な状況にあっても、希望を持ち続けることは、諦めずに行動し続けることを意味します。

アメリカ特殊部隊ネイビーシールズには「40%ルール」という考え方があるそうです。

それはどういうルールなのかというと、「もう限界だ」と思考するとき、実はその時点での自分の能力はたった40%しか使われていないというものです。「もう限界だ」は、脳がはじき出した1つの状況認識でしかなく、実は現実ではありません。現実でないことは事実ではないので、単なる「1つの可能性」の問題であるというわけです。

日本にも「九死に一生を得る」という言葉があります。この言葉は、非常に危険な状況から、奇跡的に助かることを意味します。一段深く読むと、「十回死にそうな目に遭っても、そのうち一回は生き残る」という意味です。

これこそが40%ルールの真髄なのかもしれません。可能性が0%になることは非常に難しい、そうした視点に立てたとき、すでに希望の匂いが立ちこめてくるのではないでしょうか。

そんな希望という名の「剣先一枚かわすような行動」は、小さな一歩を踏み出すことから始まります。目標に向かって計画を立て、具体的な行動を起こすことで、希望は少しずつ現実のものへと近づいていきます。そして、その過程で得られる達成感や成長こそが、さらなる希望を生み出す原動力となることは運動心理学の世界では常識です。

まとめ

希望は、目に見える対象ではなく、あなたの行動の中に宿るものです。それは、非常口やバックドアのように、普段は意識されない場所にひっそりと存在し、私たちに新たな可能性を示してくれます。困難な状況にあっても、希望を持ち続けることで、私たちは未来を切り開くことができます。

希望は、あなたの行動の名称です。小さな一歩を踏み出し、諦めずに挑戦し続けることで、あなたは希望という名の未来を創造することができるのです。

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