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「自分の人生を生きる」が親離れ、子離れの原点

みなさん、こんにちは。マタニティリープ 主宰の渡辺有貴です。先日、マタニティリープ「マタニティを飛躍の機会に」のプロジェクトミーティングがありました。今後、マタニティ期に子育てをしながら自分の人生を切り拓いていく方々に、聞いて楽になる、話して楽になる機会やアイデアを提供していければと思っています。そのミーティング中で親離れ、子離れの話が出ました。生きる力のある子供になってほしいと願う中、親離れ、子離れは大事なキーワードのように思います。そのことについて記事にしてみました。

母親と子供をつなげる「へその緒」
出産でお母さんと赤ちゃんをつなげていたへその緒は一旦切られます。私の経験では、世の中に子供が生まれてきたとしても、この子が口にしているのは私の母乳で、この子の体もおしっこさえも全部私の体からやってきている。私の一部であるような感覚はしばらく続きました。お食い初めから実際に母乳以外のものを口にするようになって、だんだん自分の一部ではなくなっていくような感覚が生まれました。そして寝返り、ハイハイ、自分で歩くようになって、どんどん私から離れていく、親離れが始まるわけです。また、母親としてはへその緒が実際に切られたとしても、感覚的にはへその緒で結ばれているような、新しい意識が芽生えます。子供が保育園や小学校に通っていたとしても、物理的に離れていても、ずっと意識の中に存在が感じられるような感覚です。3人の子供が生まれても、そんな感覚はいまだ持っていて、意識のへその緒がつながっているような感じがあります。

親離れ、子離れ
赤ちゃんが幼児になっていく過程で、子供が自分の一部のような感覚から、子供の自立を願って、子離れを意識するようになりました。先回りしすぎない、過度にやりすぎない。子供の成長と自分の人生を一緒くたにしてしまうことで親が子供の存在に依存してしまうこと。つい起きがちだからこそ、親子のいい塩梅の距離感に意識を向ける必要があると思います。子供から見れば親離れ、親から見れば子離れ。ただ、これが難しい。。。年齢だけではなく、子供の個性、何番目の子供かといったことでも違いがあります。また、父親と母親でも子供との距離感は相当違います。母親としては、転ばぬ先の杖だったり、怪我をしたり失敗しないように手を出してしまいがちです。総じて父親は失敗や怪我はしてもよし、うちの夫は「死ななければいい」ぐらいに考えているようです。私の場合は一人目、二人目、三人目の子育てを経ながら、だいぶ楽な距離感になってきたように感じます。

マタニティ・子育て期の我慢
また、母親は妊娠すると体調も安定しませんし、出産してからも自分のやりたいことを我慢して、子供のためにしてあげないといけません。かなり多くのお母さんが無意識に我慢を感じているのではないでしょうか?そして結構長い間、10年、20年と、この意識で子供と関わっていることもあるのではないかと思うのです。お母さんが自分のやりたいことに蓋をして、子供のことを優先させたり、自分のために時間やお金を使うことを許さないとしたら?それはつらいことですよね。私にもうっすらとこの意識はあります。実際に小さな子供には手がかかりますし、その子供をおいて仕事をしたり、学ぶ時間を確保したりすることに罪悪感を感じたりもします。

一緒くたにしないこと
大事なことは、子供のことで手間がかかることと、自分がしたいことに蓋をしてしまうことを一緒くたにしてしまわないことです。手間はかかる。そして私にもやりたいことがある。それを諦めない。そういう意識が親も自分の人生を生き、子供も自分の人生を生きる、子離れや親離れにつながっていくのではないかと思うのです。私たちは無意識にいろんなことを一緒くたにして、難しく感じたり、袋小路の感覚を感じるものです。例えば、「お母さんになるということは、自分の時間を諦めないといけない。」「母親なんだから、子供のためにできることを全部やってあげるものだ。」この自動的なこうあるべきに自分を当てはめてしまうのです。

トレードオフではなく、同時に存在する
どちらかを優先するとどちらかを諦めなくてはならないというトレードオフの苦しさの代わりに、私は両方を同時に持つ感覚をお勧めします。「私は母である、そして自分のことも大事にする。」「私は自分の学びたいことを学んでいく、そして子供のしたいことを応援する。」といった感じです。「○○なので、✖️✖️だ」から「○○である。そして✖️✖️だ」と表現を変えるだけでも、全く違う感覚になります。

ただ、私の「月曜日の朝なので、保育園の大量の荷物を我慢しなければならない」は今しばらく続きます。(笑:表題の画像「今朝の保育園の荷物」)

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