野球がくれたもの
【答え】
・現役時代に学んだこと…練習などインプットの重要性(積上思考)
・振り返って気づいたこと…逆算思考(アウトプット→インプット)の重要性
今日はちょっと一休みというか、noteのほうで「 #スポーツがくれたもの 」というお題が出されていたので、そのお題に沿った記事を書いていこうと思います。
僕は、小学生のころから大学まで野球を続けてきました。
個人的な能力は最後までパッとしませんでしたが(涙)、小学校時代を除いて、チームとしてはそれぞれの年代でいい成績を収めることができ、戦力になっていなかったにも関わらず、その時にしかできない貴重な経験をさせていただいたと思っています。
成績については詳しく書きませんが、野球をしていく中で学んだこと、そして野球を離れてから気づいたこと(後悔していることというほうが正しいかもしれません)を、書いていきます。
能力がないながらも大学まで続けた
僕は、親に「私たちの子でごめんね」と謝られるくらい身体能力が低くて、短距離走なんかはだいたいチームの最下位を争うレベルでした。
そんな状態でしたが、野球は大好きでうまくなりたいと思っていたので、手前みそではありますが、人一倍練習していたと思います。
その努力を、指導者や周りのチームメイトは評価してくれ、結果もそこそこですが出るようになり、努力することの価値を肌感覚で感じることができました。
ただ、冒頭に述べた通り、大学まで野球を続けること自体はできましたが、最後まで個人的にパッとした結果を出すことはできずに、野球人生を終えました。
とはいえ、自分の能力の割には頑張ったんじゃないかと、ある程度の満足感と若干の心残りをもって、野球と全く関係のない仕事の舞台を選んで突き進むことにしました。
「考えてなった」自分への後悔
仕事は、「今まで体を目いっぱい使ってきたから、今度は頭を目いっぱい使おう」という理にかなっているのかかなってないのかよくわからない理由で、コンサル系の仕事に就くことを目指し、コンサル色強めの会計事務所に新卒で入社しました。
そこでの経験を経て、今は中小企業で経営企画系の役を担っており、このnoteを最近始めたというざっくりとした経緯でございます。
で、この仕事を続けてきて思いが強くなっているのが、「おれ、まったく考えて野球してこなかったな」ということです。
重要なのは、練習することでも努力することでもなく、140m/h投げられるようになるとか、ホームランをたくさん打つとか、成果の部分であり、練習はあくまでもその手段だということに気づけていなかったことです。
僕はきっとたくさん練習して努力する自分に酔っていただけで、どうなりたいか、そのためには何をするべきなのかを、考えていなかったように思います。
いや、考えていなかったです。
厳密には、「どうなりたいか」はあったと思いますが、「そのためにどうするべきか」という逆算思考はまったくありませんでした。
結局、自分の野球での成果は、身体能力の低さが原因ではなく、逆算思考の欠如だったと今は思います。
逆にそれがあれば、もっといい成績を残せたかなとも。
コンプリートワーク
安宅和人さんの名著「イシューからはじめよ」の中に、コンプリートワークという言葉が出てきます。
「自分が受けた仕事を完遂せよ。いかなるときも。」という意味であり、プロフェッショナルの世界では、最初に評価されるのは結果であり、努力はその補助手段にしか過ぎないとも書かれています。
まさに、自分の野球人生はプロフェッショナルではなかったと思い知らされ、心に突き刺さる言葉でした。
「何のために、何を目指してこの仕事をするのか」と考え行動することは、僕が野球の中で経験した大きな「失敗」のおかげで、いま大切にできているんだと思います。
この「野球がくれたもの」を忘れず、プロフェッショナルとして結果にコミットした仕事を続けていきたいと思います。
なんだか書きながらスッキリしました。
モヤモヤした過去が精算できた気分です。笑
いいお題ありがとうございました!
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