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【幻となった黒澤映画】「トラ・トラ・トラ! 完全版('70米)」

「史上最大の作戦」のプロデューサー、ダリル・F・ザナック製作総指揮による日本の真珠湾攻撃をテーマにした戦争超大作「トラ・トラ・トラ!」であります。

この映画は元々20世紀FOXから黒澤明に監督の打診があって始まった企画です。「赤ひげ」(1965)の撮影に2年かけた黒澤明の完全主義を日本映画界は完全に持て余しており、もはや日本に黒澤の居場所は無くなりつつありました。

黒澤明は海外に活路を見出すべく、まずハリウッドで映画を撮るために「暴走機関車」の企画を立て、これを受ける米映画会社が現れましたが、黒澤の提案は拒絶されて企画が流れます。黒澤は名が通った大スターではなく、主役の機関車の砂落とし係(ブレーキ係)に完全に無名だったピーター・フォークを選んだのです。

黒澤としては「役のイメージにピッタリ」だから選んだだけなのですが、大作に無名俳優を起用するのはハリウッドの常識を超えていました。(この数年後、ピーター・フォークは「刑事コロンボ」で大ブレイクします)。

次に来たのが真珠湾攻撃を米国側と日本側の双方から描こうというザナックの企画で、彼は日本側監督に黒澤明を選んだのです。

黒澤明は福岡県芦屋町の遠浅の海岸に戦艦長門・空母赤城の実物大セットを作らせた。
空母赤城のセットを歩く黒澤明。

それ以前にも黒澤に戦争映画を撮らせようという話はあったのですが、黒澤は「本物の零戦や戦艦が使えなかったら嫌だ」とゴネて話はそれきりになりました。ところがザナックは、米国が保管している本物の零戦を撮影のために飛ばすと言うのです。黒澤はいつものように徹底的な軍事考証と事実確認の上、仕上げた脚本の題名が「虎・虎・虎」。日本側監督が黒澤明、そしてアメリカ側監督が「ベン・ハー」「ローマの休日」の巨匠、ウィリアム・ワイラーになると黒澤は聞かされていました。しかし実際にアメリカ側監督になったのは「海底二万哩」「ミクロの決死圏」のリチャード・フライシャーだったのです。黒澤はフライシャーを格下と見てろくに口も聞かず、企画は暗礁に乗り上げるかに見えましたが、ザナックが来日して黒澤と直談判し、なんとかスタートしました。黒澤組の美術監督村木与四郎によって福岡県芦屋の海岸に「実物大」の軍艦長門と空母赤城のセットが建設されました。この海岸は遠浅で、満潮になると船が海に浮かんでいるように見えるのです。日本映画ではかつて無く、ハリウッド映画だから可能になった規模の巨大セットでした。

黒澤は今回も無名俳優を通り越して素人俳優を起用することにこだわり、山本五十六には演技経験ゼロの高千穂交易の鍵屋武雄社長を抜擢したのです。それ以外のキャストもほぼ素人で固め、プロの役者は外交官役の久米明だけでした。

FOXは当然、山本長官は三船敏郎だろうと考えていたのです。しかし黒澤と三船は「赤ひげ」を最後に袂を分かっていました。

プロアマを問わず、公募で出演俳優を探すという黒澤の方針は「影武者」でも実行されています。黒澤明の「プロ俳優嫌い」は、宮崎駿の「プロ精油嫌い」と通じるものがあります。黒澤も宮崎も、プロ俳優の長年にわたって染みついた「演技のクセ」が嫌なのだと思います。しかしそれは、興行成績を第一に考える映画会社としては許容範囲を超えていました。

撮影はヤクザ映画を作っていた東映撮影所で行われましたが、黒澤は山本五十六役の鍵屋氏に家でも山本五十六の衣装を付けて生活し、朝は山本五十六が乗っていたものと同型のクルマで送り迎えし、撮影所に付いたら赤のカーペットを敷いて全員水兵の制服を着て海軍式の敬礼で迎えるようスタッフに命令していました。

ここで事件が起こります。黒澤がふとセットに置かれた山本五十六の机の引出しを開けたところ、ヤクザの連判状が出て来たのです。黒澤は激怒し、撮影を中止して荒れ狂いました。

東映のスタッフは黒澤明の撮り方に慣れておらず、まさかカメラに映らない机の引出しの中まで本物の海軍の書類を入れておかねばならないとは考えもしなかったのです。画面に映らないところまで本物にこだわるのが黒澤流なのです。

黒澤は荒れ狂って撮影所の窓ガラスを割って歩きました。この様子を見た20世紀FOXは、「黒澤明は発狂した」として監督を解任したのです。

この「黒澤錯乱」事件にはかなりの説があります。実は日本側のプロデューサーとして青柳哲夫という人物がアメリカと黒澤の間に入っていたのですが、この青柳氏がどうも、アメリカ側と日本側で顔を使い分けていたようなのです。 黒澤に当初、アメリカ側監督はウィリアム・ワイラーだと言っていたのも青柳氏で、作品は黒澤に編集権があると事実とは違うことを伝えたのも青柳氏で、彼はアメリカ側から示された契約書の条文を意図的に改竄し、あたかも黒澤に作品の全権があるかのように黒澤を騙していたようなのです。

それに気がついた時はもう遅く、ここで黒澤から監督を降板すると黒澤は莫大な損害賠償を払うことになっていました。そこでやむなく黒澤は狂人のふりをしてFOX側から監督を解任させた、という説が有力なものとしてあります。

トラトラトラで登場するゼロ戦は太平洋戦争中アメリカ軍が鹵獲した本物で、いつでも飛べるように動態保存されていたもの。朝焼けに向かって空母赤城の甲板から飛び立つゼロ戦の映像はあらゆる戦争映画の中でも白眉の出来。

さて撮影は日本側監督を舛田利雄と深作欣二が担当してすることで進みました。日本側監督がもらったギャラは日本映画では考えられない巨額だったようで、深作はこの金で念願だった自分の企画した映画「軍旗はためく下に」を実現しています。

「トラ・トラ!・トラ!」は、最終的に100億円を超える巨額の製作費を使って完成しました。現在の貨幣価値だと500億〜600億円くらいでしょうか。黒澤明は完成した映画の脚本を手掛けました自分の名前のクレジットを拒否しました。 黒澤が撮影たフィルムが20分ほど20世紀FOXの倉庫に残っているそうです。ダリル・F・ザナックはそれを見てその完成度に驚嘆したと伝えられます。これは映画史上最も高価についた没フィルムと言われていますが、陽の目を見ることは無いでしょう。

この「トラ・トラ・トラ!」には日本公開版149分と、アメリカ公開版145文太の2バージョンが収録されてます。アメリカ版でカットされたのは渥美清の料理班長が松山英太郎の部下と日付変更線を巡る漫才みたいな会話です。

映像特典特典より是非聞いていただきたいのは映画に合わせてアメリカ側監督リチャード・フライシャーが語るオーディオ・コメンタリーです。ここでは映画そのもののコメントよりも、かなりの時間を割いて黒澤明について語っています。黒澤が高千穂交易の社長を主役に使ったことを「スポンサー企業へのサービスだろう」と意見を述べてますが、たぶんそれは違うと思います。

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