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『哀しみのベラドンナ』失われた美術原画復元計画(第4章)影響を受けたと思われる映画について(1)ドライヤー『裁かるるジャンヌ』

 アニメーション映画史上、映像的にも内容的にも比べ得る作品がないとも言える『哀しみのベラドンナ』だが、アニメを離れて映画の歴史を遡って見るなら、これの影響を受けたのではないか? と思われる作品がいくつか存在する。この章は、そうした先行作品を4本紹介し、『哀しみのベラドンナ』を映画史の中に位置づけてみようする試みである。

カール・ドライヤー『裁かるるジャンヌ』(1928)

『裁かるるジャンヌ』デジタル修復Blu-ray

19世紀の終わりにデンマークで生まれたカール・テオドア・ドライヤーは、映画史の初期に現れた巨匠であり、世界中の映画監督に強い影響を与えている。

1928年に公開された本作はサイレント映画であるが、極端なローアングルとクローズアップを多用した独特の撮影方法、実際の裁判記録にある言葉以外を採用しない徹底した現実主義、そしてサイレント映画とはいえ口パク演技を許さず、実際にセリフを発語させて撮影するリアリズム志向で、しばしばサイレント映画の最高傑作であり、ジャンヌ・ダルク映画の最高峰と呼ばれている。同じ年に公開されたセルゲイ・エイゼンシュタインの「戦艦ポチョムキン」と並んで、映画の歴史を変えた作品だと言って過言ではない。

ジャンヌ・ダルクというと、13歳で神のお告げを聞いて甲冑に身を包み、フランス軍に従軍して前線に立ち、英仏百年戦争のオルレアン包囲戦でフランスに勝利をもたらした「オルレアンの聖女」としてフランスの国民的英雄となった。しかし19歳でイギリス軍の捕虜となり、ジャンヌが聞いたのは神の声ではなく悪魔の声ではないか? と疑われて異端審問裁判、いわゆる魔女裁判にかけられた。

映画には、通俗的なジャンヌ・ダルク映画が好んで描く、甲冑姿のジャンヌが槍を持ち、騎馬に乗って勇ましく戦う場面は一切ない。捕虜となり剃髪され鎖に繋がれた状態で、異端審問官から冷酷な質問を浴びせられ、拷問を受けて一時は屈服させられるが、翌日、やはり自分が聞いたのは神の声であると前言を翻して火炙りになるまでの一部始終を描いている。

徹底した密室劇であり、この時期に発明された新しいフィルム(パンクロマティックフィルム)によって人間の実際の視覚に近い明暗を表現し、ジャンヌをオルレアンの聖女ではなく、人間の弱さを持った一人の人間として描き出そうとした。

カトリック教会を悪役として描いたこの映画は、当然カトリックの不興を買い、映画はズタズタに検閲されて公開された。この映画の完全な姿は、1981年にノルウェーの精神病院でオリジナル・フィルムが発見されるまで分からなかった。現在はドライヤーの意図した通りに修復され、Blu-ray等で見ることができる。

この映画のジャンヌは狂人に見える。一つには、ルネ・ファルコネッティ演じるジャンヌは終始目を見開き、一度もまばたきをしないからである。この映画の異様なルックの理由は、まばたきをせず目を見開いた主人公のクローズアップが続くからであり、それは監督の指示によるものだった。

カール・ドライヤー監督は、ジャンヌ・ダルクをまるで狂人であるかのように撮影した。

この指示を女優は忠実に守り、私が驚いたのは、あるクローズアップの撮影中、彼女の顔に偶然ハエが止まるが、ハエが目の近くを這い回っても女優はまばたきをしなかった。それほど役に入り込んでいたのである。これは撮影中のハプニングであり、普通ならカットして撮り直しになるだろうが、ファルコネッティがまばたきをしなかったことで、ドライヤーはこのカットを採用した(この直後、ハエが目に入り込もうとしたので、女優はまばたきをしないまま手でハエを払った)。

監督はジャンヌを演じたルネ・ファルコネッティに撮影中のまばたきを禁じた。心身ともに完全に役に入り込んだファルコネッティは、自分の顔にハエが止まって歩き回ってもまばたきをせず、ドライヤーはこのハプニング・ショットを採用した。

またドライヤーは、主演女優にメーキャップすることを許さなかった。一切の虚飾を削ぎ落とした姿でジャンヌの人間性を描こうとする意図なのだが、女優にとって、これほど過酷な要求はないであろう。

つまり、観客は彼女を救国の英雄とも、幻聴を神託だと信じた統合失調症の患者とも判断がつかないまま、1時間37分の間、彼女を見続けるのである。ジャンヌ・ダルクをここまで冷徹に描いた映画は空前絶後ではないだろうか。

『哀しみのベラドンナ』のヒロインはジャンヌという名であり、これがジャンヌ・ダルクから採られていることは明らかである。しかしベラドンナのヒロインの場合、一切の神秘体験を映像としては描かない『裁かるるジャンヌ』とは違って、実際に悪魔が出現して契を交わし魔女になる。この2つの映画は、一見して違う種類の映画に見える。しかし、悪魔が最初にジャンヌの前に姿を現したとき、「私は貴女ですよ」と言うのだ。

ドライヤーにとって神秘体験(神の顕現)はあくまで内的なものであり、映像としては描かれないことに対し、ベラドンナのジャンヌは、神秘体験(悪魔の憑依)が映像として、外的なものとして描かれる。その一点がこの作品を娯楽映画たらしめているのだが、しかし悪魔が最初に囁いた「私は貴女」という台詞によって、ドライヤーのジャンヌ・ダルクとも接点があると私は見ている。つまり観客が『ベラドンナ』を90分のあいだ見続けているのは、ドライヤーのジャンヌ・ダルクと同じく、最初から最後までジャンヌの幻覚である可能性すらあるのだ。

カール・ドライヤーはすべての映画製作者にとってのバイブルなので、山本暎一が『裁かるるジャンヌ』を見ていないはずがない。

しかしそう考えると、一点、解せないことが出てくる。『ベラドンナ』のジャンヌも、実際のジャンヌ・ダルク同様、魔女として火炙りの刑に処せられるが、『裁かるる』のジャンヌが魔女の判決を受けて火刑台の棒杭に身体を縛られて処刑されるのに対して、『ベラドンナ』のジャンヌは十字架刑なのだ。

魔女の処刑なのに、『ベラドンナ』のジャンヌは十字架に架けられる

このことについて、欧米のファンから、「魔女が十字架刑になるのはおかしい」との声がネットに上がっているのを読んだ。確かにそれはおかしい、と私は思った。

この点を実際に原画を描いた深井国氏に尋ねたところ、「言われてみれば、魔女が十字架にかけられるのはおかしいですね。描いているときは気が付きませんでした」という答えだった。

しかし私は、映画の準備段階で魔女狩りについて徹底的に調べたはずの山本暎一が、制作中このことに気が付かないのはあり得ない、と今では思っている。ジャンヌ・ダルクの火刑をテーマに描かれた絵画は無数にあるが、十字架にかけられた絵はひとつもない。これに山本が気がついてないはずはない。

フランク・クレイグ画による火刑台上のジャンヌ。ジャンヌ・ダルクの処刑を題材にした絵画は無数に存在するが、いずれも魔女の処刑のセオリーで棒杭に身体を縛られて火刑に処される絵であり、十字架刑の絵は一枚もない。
「裁かるるジャンヌ」より。
「裁かるるジャンヌ」より。火刑台の棒杭に縛られるジャンヌ。

『哀しみのベラドンナ』では、十字架にかけられたジャンヌが火炙りになって画面が暗転した後、「時は過ぎたーー。/1789年7月14日 バスチィユ監獄の襲撃に始まったフランス革命の先頭に立ったのは/女たちであった」と字幕とともに当時の絵画が映し出され、フランス革命の直後に起きたもうひとつの民衆蜂起である七月革命の絵とされるドラクロワの「民衆を導く自由の女神」の絵がズームアップされて終わる。

ドラクロワ『民衆を導く自由の女神』。フランス革命に次ぐ七月革命の絵とされる。

フランス革命と女性の活躍を結びつけたこのラストシーンは映画の初公開時(1973年)には入っていなかった。1979年の再公開時に付け加えられたシーンで、これを私は長い間「女性の観客に見せるために付け加えた、とってつけたフェミニズムテーマ」だと思っていたのだが、このたび福田善之と山本暎一のオリジナル脚本を読み、そこにラストがフランス革命とドラクロワの絵で終わる指定があるのを見つけて、考えを改めた。

つまり、山本暎一は『哀しみのベラドンナ』を最初からフェミニズム映画として構想し、魔女狩りとフランス革命を結びつけることで、社会の最下層に位置づけられていた魔女(女性)を、絶対王政と教会支配にあえぐ、男性も含んだすべての民衆の象徴とする意図があったのではないか。それは原作者であるジュール・ミシュレの意図でもある。ミシュレは『ジャンヌ・ダルク』という書物も書いている。

『ベラドンナ』のジャンヌは魔女として火炙りにされたが、同時にそれは蜂起した民衆にとってのキリストとして十字架にかけられたのだ。私にはそう思えるのである。

『裁かるるジャンヌ』のラストでは、ジャンヌ・ダルクの火刑を見ていた民衆が「お前らは聖女を火刑にしたのだ!」と怒りに駆られ教会に対して暴動を起こすが、これも『ベラドンナ』のラストに繋がる。





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