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【鈴木清順大正三部作①】「ツィゴイネルワイゼン デラックス版」('80)

鈴木清順という監督は「慣れると美味しいくさやの干物」みたいな監督で、メチャクチャ癖が強い監督なんですよ。どういう癖か? と問われると困ってしまうんですが。

それで、本人の癖が「良い方」に転ぶと「清順美学」なんて言われて、よく分からないながらも「美しい映画だなあ」と思われるんですが、その「美学」を期待して次の作品を観ると「なんだこの映画?」と疑問符がつくような「魔球」を投げてくるんです。

私は長い清順ファンで、かなりの本数を見ましたけど、いまだに、この監督、才能があるのか無いのか全然分かりません。いや才能は確実にあるんですけど。

なので清順映画未体験の方にお勧めするときにはかなり慎重にならざるを得ません。しかし、この「ツィゴイネルワイゼン」は、万人向けとはとても言えませんけど、清順の臭みがかなり良い方に転んだ傑作だと言えるのではないでしょうか。

昔、この映画をある女の人と観に行って、彼女は清順初体験だったんですが、「フェリーニの映画みたいだった」と、まあ好評でした。ここから入って「陽炎座」「夢二」と、いわゆる「大正3部作」を観るなら、かなり筋がいい清順ファンになれると思います。

しかし「ツィゴイネルワイゼン」の前作である「悲愁物語」はくさやの干物の臭み成分が凝縮されたような映画で、これから入ったら清順は苦手になるでしょう。大正3部作以降でも「カポネ大いに泣く」から入ってもヤバいです。

それで「ツィゴイネルワイゼン」ですが、これ、私の清順初体験映画でした。だから、かなり良かったです。難解なところも多い映画なんですが、とにかくワンカットワンカットが決まっていて、映像を観るだけでも楽しめました。音楽もサラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」が全編の鍵になっていて、これも良かったですね。

鈴木清順は50年代末にデビューして、日活でプログラムピクチャーを量産していた監督です。なので作品数は多い人なんですが、60年代の半ばから「魔球」を投げ始めて、67年に撮った「殺しの烙印」では、宍戸錠主演の殺し屋映画なのに、なんか訳が分からないシーンの連続で、「清順は訳が分からない映画を撮る」と会社に言われて解雇されたんです。それから75年の「悲愁物語」まで映画が作れなかったんですね。

久々に撮った「悲愁物語」でも魔球を投げたものだから、もう清順は駄目か、と思われていたんですが、天象儀館というアングラ劇団の荒戸源次郎という団長が、「清純になんとか映画を撮らせよう」というので、シネマプラセットという映画会社を作ったんです。

天象儀館はもともと銀色のドーム式テントで全国的興行をやっている劇団で、このドームテントで清順の新作映画を上映しようという発想でした。その第一回作品が「ツィゴイネルワイゼン」になります。

ええと、前置きが物凄く長くなりました。とにかく清順は映画会社からしたら訳がわからない、困った映画を撮る監督なんだけども、「慣れると美味しいくさやの干物」で、ファンには堪らないというか、カルト化した映画監督だということです。

「ツィゴイネルワイゼン」は「大正3部作」の1作目ということになってますが、実は昭和初期が背景なんですね。

ストーリーの要約は困難なんですけど、最初に大学教授の原田芳雄が、ツィゴイネルワイゼン作曲者のサラサーテが自分で演奏したツィゴイネルワイゼンのレコードを、親友のドイツ語教授である藤田敏八に聴かせる場面から始まります。

途中でレコードから声が聞こえてくる。藤田敏八は「君、何か言ったかね?」と原田に問うんですが、原田は「サラサーテが喋ったんだろ」と言う。

実はこのレコードは「サラサーテの盤」と言って、音楽マニアには有名な盤なんだそうです。演奏中にサラサーテが誰かに話しかけた声がそのまま入ってるんですよ。

原田芳雄がこれを藤田に聴かせた理由は、ドイツ語教授の藤田ならサラサーテが何を言ったのか分かるだろうと思ったからなんですが、音声が不明瞭で藤田敏八にも分からない。

その日以来、原田は全国を放浪の旅に出るようになり、藤田敏八がそれを探して旅をするんですが、奇怪な出来事が次々と起こり、最後は自分が生きているのか死んでいるのか、生きていると思い込んでいるだけで本当は死んでいるんじゃないか、という幽玄の域を彷徨う話です。

こう書いてもなんのことやらわからないと思いますが、観ていて臨死体験をしたかのような気分になる、変な映画です。

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↑プライム・ビデオ「ツィゴイネルワイゼン」


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