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清里清泉寮日記 第2日「お呼びでない」ときもご縁を活かす方法

Tグループ(人間関係トレーニング)の2日が終わりました。
結構、急展開でしたが、やはりこの瞬間はやってきました!
初日の学びを活かし、気づきをお伝えしたいと思います。

お呼びでなくても「次、行ってみよう」とは言えない

私には、場を見渡して自分に出番があるのかどうか、見定める習性があります。多分、習い性なのだと思うのですが、還暦にもなれば第二の天性といえるほど強固なものかもしれません。

私の生まれた年に大ヒットした映画「ニッポン無責任時代」で、主人公の平均(たいらひとし)の決め台詞「お呼びでない?……お呼びでない、ね。こりゃまた失礼いたしました!」で舞台が転換する感じ、おそらく母のお腹の中でも、その時代の雰囲気を感じ取っていたのでしょう。

物心つくと、クレージーキャッツの付き人がドリフターズとなって一世を風靡します。
「次、行ってみよう!」でリセットです。

言葉の遊びとしては、こんな時代感覚だったと思うのですが、私自身には、この場で一番うまく機能する人が主役になれば良いという考えがありました。「自分のことが好きでしょ?」とか「人に対する関心がない」とか様々に指摘や揶揄もされてきましたが、私の焦点は、この場で自分しかできないことがあるかどうか、にありました。

このことが何を意味するのか、まだ、明確ではありませんが。

Win-Win or No dealではすまない

コーヴィー博士の「七つの習慣」は余りにも有名ですね。その中でも、私自身にしっくりきたのが「Win-Win or No deal」でした。

高橋伸夫教授の「できる社員はやり過ごす」を都合良く解釈して、いつも居心地良く過ごしてきました。

「どうも出番はないようだ」と直感したのですが、Tグループではそうはいきません。

今、ここで何ができるか?一期一会なのですから。
とても窮屈で苦手な感じですが、致し方ありません。

役に立とうが立つまいが、私が参加しないと全体性が損なわれるのです。そのことは、今ここで私にしかできないことですし、粘ってみようと思いました。

何が起こっているのか?氷山モデルのU字の谷を下ろう

出来事としては、様々な投げかけがあり、豊かな感情、思考、視座の応酬が行われている。一言一言、一挙手一投足を見逃さないように追いかけるのですが、言葉の意味以上のことが読み取れない。どうも好奇心が発動しない、他者に対する興味がないのか?

どうも役に立てると思えない、この場で自分しかできないことがあるとも思えない。この場から自分を消したい衝動に駆られる。

味わっている感情は、居心地の悪さ、間違った場所に来た後悔。
思考は、学びのポイントに集中しよう。そうだ、氷山モデルに従って、行動・思考・感情を見つめてみよう、と。この場から距離を置き、自身の思考に逃げてしまいました。

縁に気づいて縁を活かす方法とは?

結局、不協和を避けて逃避を選択してしまったのですが、そのときは最善手だと思っていました。後に気づくことになるのですが、この段階では、まだ気づきの端緒に過ぎない段階です。

出来事を追いかけて、思考、感情を整理する。私自身の中だけではなく、参加者全員の出来事、意識下の思考、感情を追いかけ続ける。そんな修練が求められていました。

今まで使ったことのない筋肉を使うときのような疲労感が神経にも襲いかかりました。

一期一会、またとないご縁に気づいていること、その場がもたらす収穫への期待、諦めさせない、諦めきれないものがありました。模索は続きますが、きっと見つかる、持って帰る、そんな2日目の夜ではありました。