誰のせいでもないさ。人はみんな鏡だから。


ふと、ゆずさんの「虹」を聴いていたら、この歌詞が頭に残ったままだった。

「誰のせいでもないさ 人はみんな鏡だから」

僕はけっこう自分を責めるときがある。

相手に不快な思いをさせてしまったんじゃないかと感じたとき、その罪悪感から自責の念にかられる。

思い返しては身悶えして自己嫌悪のモヤモヤループから抜け出せない。優しさの完璧主義みたいなのに陥る。

そんなだからイベントを発生させるのがこわくて、人と関わる回数を極力避けたがることがあったし、端から傷つけまいと笑顔を取り繕うこともあっただろう。

そんな僕への正当化というか、確証バイアスのように頭に残った歌詞がこれだ。

「誰のせいでもないさ 人はみんな鏡だから」

僕にとってのその意味は、

人は社会的な生き物だ。コミュニケーションはすべて化学反応であり、お互いの感情表現を読み合って自分の動作を決めている。

そういった意味での鏡。つまり、行動や感情の主導権は自分にだけではなく他人にもある。

どこかで不快な表情を反射させたあとにアナタと対面することもあるわけであって、誰かを傷つけてしまったのだとしても、その責任の所在を定めようと相互作用を遡ってみても、その反射の発生源には辿り着くことはなく、誰のせいなんて言いようがないのだよ。

みたいなことだ。

こう考えると、人はみんなで(どうせ影響し合うのだから)支え合って、誰に対しても優しく明るく振る舞ったほうがいいんだと思える。

誰かを傷つけて、傷つけられて、そうやって、痛みや優しさを知って行くんだよ。

間違いなんてきっと何一つ無いんだよ。

誰のせいでもないさ

人はみんな鏡だから。

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