「この人も人が好きなんだろうな」と思うためには
人生を生きていくにおいてね、「人を好きでいること」ってもの凄く重要だなって思うわけ。
だって、人を好きじゃないと、他人に笑顔で接することができないでしょ?
人を好きじゃないと、警戒することになるから疲れるし、敵意や悪意ばかり返ってきて、ストレスは溜まるし、モテないから、健やかさから遠ざかってしまう。
でね。
「人を好きでいること」も重要だけど、「この人も人が好きなんだろうな」と思うことも重要だなーと思うわけ。
だって、自分は人が好きだけど、他の人がそうじゃなさそうなら、話しかけようとできないでしょ?
相手が嫌がってるのかなと思いつつ見つめるのも辛いじゃん。
笑って話しかけてるのに、ぶっきらぼうな対応されると期待を裏切られた気持ちになるじゃん。
期待を持ちかけるには、他者への信頼が必要なんだよ。
でね。
これって二元論の話なのかなー?と考えてみてもそうじゃなさそうなのね。
二元論ってのはつまり、自分が人が好きで接してるから、他人も人が好きで接してるはず。
とまぁ、自分の考えがそうだから相手もそうだろう。みたいに考えることを指すのね。
でも、他者を信頼するにおいては、この二元論なんて単純な話ではうまくいかなさそうで。
もちろん、自分にちょっぴり他者への危険意識があるから、相手にも同じように感じてしまうこともあるんだろうけど。
でもそれ以上に、
自分の周りに、自分の(他者への)期待に応え続けてくれる人がいる。ということが、他者への信頼を底上げしてるのだと思うのよ。
それの積み重ねがあって、他者を信頼できるに至るんだと思う。
「他者は期待に応えてくれる存在だ」っていう認知。その認識ができるほどの成功体験の積み重ね。
社会的に合わせた理性ではなく、子どもの頃のように本能でそう思えるような。
人が好きでなければ描けない未来描写(行動対応)がある。
思ったんだけど、人を好き過ぎてもよくないな。月並みな結論だけどやっぱりバランス大事。
みんなが皆んな人を好きなわけじゃない。
期待しては裏切られ。期待しては裏切られ。
そんなことを学生時代に散々味わされたから、各々のバランスを持って人と接している。
期待だけが全てじゃない。うわべの付き合いも悪いことじゃない。
この人は深い付き合いは避けたいんだろうなと配慮する優しさ。
というよりもあれか。
自分というキャラクターを誰に接するに対しても一貫する。ってやつか。
そうするとブレない。
だから必要なのは、他者と関わっている際のお気に入りの自分。自分が好きな自分。
よく笑う自分。よく笑ってもらえる自分。
この人には嫌がられたけど、これが自分だから。そう思えるとかっこいいよね。
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