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とりあえず

 ずいぶんむかしの、なんてことない話です。

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 TちゃんとKどんは、計画通り、朝4時に僕の家へ迎えにきた。僕は、家族が目を覚まさぬよう、こっそりと家を抜け出した。実は数日前、僕らの計画をそれとなく親に話したら、「ばかか!」と一喝されていた。だから気づかれてはいけなかったのだ。

 僕らの計画とは、日帰りで海に行くことだった。夏休み前に、Tちゃんが「海行ぎだぐね?」と言ったのが事の始まりだ。何故その程度のことに親が激しく反対したかというと、“ 自転車で ” 行こうとしていたからだ。というのも、僕らの町から海までは、片道で80kmもあった。保護者として、中学生ふぜいをチャリンコで往復160km野放しにするのは危険だと感じたのだろう。そりゃそうだ。


 須賀川から石川街道を抜け、朝7時に石川町のコンビニで朝食のパンを買ってかじりついた。やがて古殿町~御斉所街道の峠道に入ったが、三森峠で鍛えられた僕らにとってそれはわりとイージーなラインだった。途中、左に入ればその先は常磐ハワイアンセンター、という看板を目にしたとき、少し心がぐらついたが、僕らはあくまで海を目指すべく、右を選択した。そもそも、東北のハワイでエンジョイできるほどの持ち合わせはなかった。

 少しずつ町が平坦になってきた。風も潮臭くなってきた。いよいよ海が近づいてきていることが感じられた。しかしここで事件が発生した。海を目前にして、僕はウンコがしたくなったのだ。周辺に気の利いた施設は見あたらなかった。判断の時間は限られていた。おそるおそる一軒の民家を訪ねた。すると中から出てきた大学生くらいの兄ちゃんが、快くトイレを貸してくれた。その時の開放感といったらなかった。事後お礼を言い去ろうとすると、彼は「またな」と言った。感謝することしきりだったけど、もう会うことはないでしょうと心の中で思った。今思えばいい時代だった。

 10時、海に着いた。海沿いの町にある典型的なそれ(海辺)だった。僕らは低い防波堤の上から、しばし水平線を眺めた。空はどんよりしていた。どんな景勝地でも5分眺めれば飽きてくるというが、どうやら5分も必要なかった。左手の遠くに巨大な煙突らしき建造物が数本見えた。

 「あれって『げんぱつ』かない?」

 いいや、あれは火力発電所だよ、つーかここは勿来だよ、と諭してくれそうな賢人は、残念ながらその場にはいなかった。
 砂浜に降り、記念にと砂を集め、ビニール袋に入れた。それから(実にあっさりと)海を離れて、植田の郵便局でハガキを買い、自分宛てに一筆書いて、ポストに入れた。

 帰りは3人バラバラだった。Tちゃんは峠道も苦にせずどんどん先に行った。彼は駅伝部のエースだったから、脚力も相当なものだった。僕はTちゃんに少し遅れて続いた。Kどんは途中、車に接触してしまい、幸いかすり傷で済んだもののテンションはガタ落ちで、遠く後方にいた。皆、ひたすら寡黙にペダルを漕いだ。

 石川に戻る頃には日も差してきた。ふと先を見ると、Tちゃんが沿道に一人腰掛け、アイスを食べていた。追いついた僕もアイスを買った。食べ終える頃になって、ようやくKどんがやってきた。その姿を捉えたTちゃんはすぐさま立ちあがり、「んじゃ行ぐがい」と涼しい顔でサドルをまたいだ。Kどんの眉間に深い皺が寄った瞬間を僕は見逃さなかったが、ともあれ出発した。

 午後4時を過ぎるころには、風景は見慣れたものになっていた。太陽はいっそう爛々としていた。やがて、ゴールと決めていたN地区のお寺が見えた。先に着いていたTちゃんは、お寺の階段に座ってニコニコしていた。ついに僕もゴールした。10分ぐらい遅れてKどんも到着した。「アァー!」と大きく息を吐き出した後、3人でアハハと笑ったが、皆腿はパンパンで膝はガクガクしていた。

***

 夏休み明け、僕が “ 遠出するとウンコしたくなるヒト ” という微妙なキャラを得てクラスのみんなにそう認知されたのは、あの時のアイスのちょっとした代償だった。それは、学級委員長で皆からの信頼が厚いKどんによる、僕へのささやかな復讐であった。ちなみにTちゃんにはというと、彼はある意味学級委員長よりエライ立場だったから、Kどんの復讐の対象にはなり得なかったみたいだ。

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