心に刺さる三日月
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誰しも心に残る風景があると思う。
私には一生刻み付けられた圧倒的に美しい体験が記憶に輝いている。
それは神秘的で幻想的、それを現実として体験したのだ。こんな経験をできたことは大きな財産ではないだろうか。財産というには空しいほどの何事にも代えがたい経験なのだ。
あれはまだ事業に苦しんでいたころの話だ。苦しむといっても本当に苦しいのは、残務処理であって苦労している最中は夢に向かって努力している分、心は救われていたあの頃の話だ。
実はあの頃から僕の中で君は変わっていない。そりゃ年齢を重ねているけれど、子供はいつまでたっても子供の様に君はあの頃の輝きのままだ。
その記憶があるから、一緒に時間を重ねることも美しいのだ。「崩美」といってもいいかもしれない。とにかく信じられないほど美しいのだ。
だから今でも毎日、感動をもらっている。こちらとはいうと年齢を重ねるとともに日に日に体力は衰え、無茶してきたせいか体のあちこちが悲鳴を上げ始めている。腹も出て髪も薄くなりトラブルも多く、申し訳ない限りだ。
しかし、人生は不公平だ。私の人生は自分の選択によってかなりのハードモードだけど、反面に妻に関してはすごいラッキー!片方のパートがマイナス300点でも妻が1000点以上なのでこの先どんなことがあっても幸せでしかない。
だから私が生きている限り、人生に抗い続けるとここに誓いたい。
本題に戻ろう。美しい場面の話だ。
女性は赤ちゃんができた瞬間のセックスについて「この日、この瞬間だ」とわかる場合もあるらしい。私の場合もこの日じゃないのか、そうだとしたら嬉しい瞬間がある。
ベンチャーを立ち上げて毎日、悪戦苦闘しながら癒しを求めて妻の胸に縋りつく毎日だった。今でも癒されたい気持ちはあるが癒されるのはこっちだけであちらは嫌かもなんて意識ばかりが先立ってすっかりご無沙汰だ。
それはさておき、君は覚えているだろうか。あの特別な夜を。共有はしていないだろうと思うし、そのことは重要ではない。
私にとっては何気ない日常だったのに、やけにあの日は月明かりが絶妙で君の体に緩やかな光がまとわりついて、人生の中でこれほど美しいと感じるとは思わなくて感動した瞬間が今でも私の脳裏に深く刻み込まれている。
この話は妻自慢ではない。小説を書く時も商品やサービスを世に送り出す時もセグメントを定め、具体的な誰かを想定してマーケティングする。
これは、妻と子供たちが大きくなったら読んで欲しい話であるのだ。でも、家族は読まないかもしれないので誰かに知っていて欲しいのだ。
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