記録のすゝめ。甘い幻想は現実には起こらないのだから
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人生におけるバランスの話を書き、これから待ち受けるどんな苦難も恐れないでいられる理由を述べた。
私はそれでいい。しかし家族はどうなんだろうか?皆さんも苦境に陥った時に一瞬考えがよぎる事ではないだろうか?今ではない人生を。あの時もっと違った選択をしていれば今の自分はどんなだったろうかつい妄想してしまわないだろうか。
愛する家族がいるから他の選択しなんて有り得ないとは頭ではわかっていつつ、自分だけではなく妻も同じことを妄想しているかもしれない。私という存在のせいで大きな損失を与えてしまっていると思うのだ。
全てが自分の責任にしてしまうのは私の悪い癖だし、そこを利用されてしまうので改善したいと思う。なんかこう、うまく表現できないけど達観したいね。
人生という旅を通して沢山の経験をし、多くの選択肢から一つひとつ判断しながら「今」がある。どんな人だって生活を出し続けることはできないし、客観的に正解はあっても自分の中の正解とは限らないのだ。
だから私は「今」を受け入れたいと思う。受け入れた上で足りない部分を補い、間違っていた部分を改善するのだ。
そう思うと妻の判断は常に正しかったことに驚く。一回り違うのだが、彼女の能力は私程度では推し量れない深い人格を感じるのだ。例えば「単身赴任」。今回、逮捕されるきっかけとなった仕事では私は色々と判断を間違えていた。
無給で長時間労働をした挙句、骨までしゃぶられた挙句、この先は恐らく民事訴訟などで骨の髄までしゃぶられようとしている。そのことに当時は忙しすぎて判断を過ち、相手に付け入られるスキを作ってしまったのだ。
そうしたことから別の仕事に就くときに私は妻から「単身赴任」を言い渡された。問題の多い土地に残していくことは不安だったし、私は別居を言い渡されたと同義でとてつもなく寂しかったし、悲しかった。
しばらくは泣き明かしたくらいで本当に情けなかった。しかし、あの経験があったからこそ、今回の件について乗り切れたのだと思う。本来ストイックなタイプなので単身赴任の時は自分に留置場にいる時よりもはるかに厳しい生活を自分に課していたし、甘えていたのは毎日のメッセージだ。
彼女も三行半では終わらず、ちゃんと毎日返信してくれていたのが心の支えだった。幸せとはお金ではないけどお金があると多くのことは解決できるのでやっぱ重要だし、稼ぐことばっかり考えていた。
幸せって家族と一緒に過ごすことでもあるけど、明確な意思を持って過ごしていなければ価値は薄まる。重ねた時間は重要ではあるけれど。だから私は思うのだ。人生には選択肢がいくつもあるようでも運命の筋は1本に定められており、どのような選択にも正解も不正解もなく、ただ時が流れているのだと理解している。
これらの内容はもちろん釈放後にアップしているのだが、留置されているときに書いたものを再編集している。本を読んでいる時間もいいのだが、アウトプットするととても落ち着くのだ。
自分の人生や、家族への思いを振り返りながら今後どうすべきなのかについても戦略を張り巡らせていた。可笑しいのは、そんな状態におかれているのに「話し合えばわかる」、「誤解は必ず解ける」と甘い幻想をいだいていたことだ。
でも、現実にはそんなことは起こらない。人の感情とはもつれたら修復なんてしない。上書きできる余地はあるかもしれないが、人と関わっていくのは怖い。しかし、一つ思うのは判断力の悪い状態(追い込まれてギリギリな時)にある出会いはたいてい良くない人を呼び寄せるなと。
今、出会う人たちは素敵だし、トラブルに発展しそうにもない。こっちも経験を通じてガチガチに固めているけど、本当にこういうのはしっかりしていた方が良い。
私はかなり記録をとる方なので今回はそういった部分も評価されて釈放に至ったように思う。妻からはツメが甘いと言われてしまったが、記録ということではしっかりやっていたので、いつかこれを読んだのであれば少しだけ再評価していただきたいものだ。
問題点は相手を信用して証拠を全て相手に渡してしまった事だ。これはツメが甘いというか間抜けであったと自覚している。この世の中、生き馬の目を抜くように生きなければ未来はないのかもしれない。
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