マタタビの小説(4)

さあ、張り切って続きを書いていきます。進展はあるのでしょうか。


SNSへの誘い


 バイトの最終日、いつもながらに業務を終えた拓望は、院長に挨拶に向かった。1年以上お世話になったことの感謝を伝えるために。院長は当時と代替わりをしていたが、拓望の事をよく知っていた。
部屋に入るなり、覚えのあるコーヒーの香りが立ち込めていた。

「今日まで1年以上、助けてもらって、感謝してるよ。ありがとう。」

院長はそう言うと、コーヒーを用意していた。副院長時代から変わらず、ドリップ式のこだわりの1杯を拓望に用意してくれたのだった。拓望がブラック派であることも覚えていたため、ミルクも砂糖も用意していなかった。

『では、院長。いただきます。』

 拓望はコーヒーを口にした。昔一緒に仕事をしていた頃に飲んだコーヒーの味だった。勤務医時代はよく2人でこのコーヒーを副院長室で飲みながら、治療方針について夜遅くまでディスカッションしていたものだった。

 拓望がコーヒーを飲み終えた時、院長が口を開いた。

「なあ、もう一度この病院で仕事をしてもらえないだろうか?
内視鏡室を見ただろ? 今や通常検査がほとんどで、かつての華やかさはなくなってしまったよ。私は君の頑張りもあって院内でも評価されて、今の地位に落ち着いたようなものだよ。それなのに私は、君に相応な環境を与えることができなかった。それどころか、君の負担に気が付けずに退職に追い込んでしまった。それは今でも後悔しているよ。」

 院長は、部下を守れなかった当時の自分の無力さを、この状況を迎えて改めて実感していた。あの時拓望の変化に気づいていれれば、今頃は診療科部長としてかつて以上の働きをしてくれる存在だと分かっていた。

『院長、急に職場を離れることになってしまった私に、今でもそのようなお気持ちを持っていただいているだけでも光栄です。てっきり、辞めたことを咎められるのかと思って、内心ビクビクしながらこの部屋に入りましたからね。』

 それは、今の拓望にとっての精一杯のジョークであった。このまま自分が黙っていれば、改めて再就職を促されてしまう。そう思ったのだ。しかし今の自分にそのような気持ちはまだ無かった。

「まあ、これ以上は私からは止めておくよ。そろそろ私は離れるから、いい時に帰ってもらっていいからね。
 今まで、本当に世話になった。ありがとう………」

そう言うと、院長は部屋を後にした。院長は拓望の心情を汲み取り、彼なりの配慮をしたのだった。
 部屋に静寂が訪れる。拓望は1人でソファにもたれかかっていた。大きな溜息をひとつつくと、立ち上がり院長室を後にして病院の正面玄関に向かった。当時から変わらず業務を続けていた受付の職員に会釈し、病院を出ようとしたその時だった。

「先生! 拓望先生!」

 拓望を呼ぶ声がした。段々と大きくなる声に、走って近づいてきていることがわかった。病院内を走ることは決して良くない事ではあるが、自分に何かを伝えたいために必死に走ってきていることが分かった。院内の雑踏で聞き取りにくかった声は、徐々にくっきりと聞こえるようになり、拓望には声の主がすぐに分かった。
 そう、志保であった。
 立ち止まると、荒い息遣いのまま、志保は話し始めた。

「先生、間に合ってよかった。ハア、ハア……」

『そんなに慌ててどうしたのさ、榊原さん。病院内は走ったらだめじゃないか…』

「ごめんなさい、先生。私って、まだまだ職員としての自覚が足りませんね、まったく。てへ。」

『まあ、後で外来師長には報告しておくから、ね。』

「えーっ、それは困ります。お願いだから内緒にしておいてくださいよぉー。」

『分かった。黙っておくよ。』

「ありがとう、先生。やっぱり先生は志保に優しいですね。」

 偶然の出会いで二言三言会話を交わしただけであったが、気が付くと拓望は志保と自然な会話ができるようになっていた。これまで人見知りが強く、慣れていない相手の会話など決して得意ではなかったからだ。拓望には理解できなかったが、志保の友好的な話し方が自然と拓望との距離を縮めていたのかもしれない。

『君に特に優しくしているつもりはないんだけど…』

「もう、先生… そういう時は嘘でもいいから『そうだよ、君は特別なんだからね。』って言ってくださいよぉ……もう。」

 拓望はドキッとした。必要以上に語りかけてくる志保に、正直圧倒されつつあったのだ。会話の苦手な拓望は、完全に主導権を握られていた。自分よりもずっと年下の女性に。

 その表情を志保は見逃さなかった。ここぞとばかりに、拓望に語りかけた。

「先生、SNSって、やってるの?」


今日はここで終わります。そろそろ進展がありますからね。では。


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