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個人タクシー 

父は旧プリンス自動車の車が好きだった。戦前の戦闘機メーカーの流れをくむこの会社はグロリアやスカイラインなどの名車を世に出していたが、なんといっても桜井真一郎デザインのスカイラインは国産車としては初のモータースポーツ界の伝説となった名機であり、後部ドア上の独特のプレス形状、サーフサードラインはモデルチェンジを繰り返しながらも何代も継承された。

父が運転する個人タクシーの車両もずっとスカイラインで、毎日丁寧に清掃され、ワックスで磨かれたたそのボディは常に白く輝いていた。さすがに私がトヨタ自動車に入社すると、父は長年お世話になったう日産プリンスの販売店に、律儀にも菓子折持ってご挨拶に行き、トヨタ車に乗り換えてくれた。

父はかなりのヘビースモーカーで、今なら考えられないことだが、タクシードライバーが運転中にも喫煙するのはさほど珍しいことでもなかった時代で、父の車の運転席の天井はいつも黄色くヤニで変色していた。お客さんもスモーカーが多かったらしく、後部座席にはあちこちタバコの焦げ痕があった。

酔っ払いが嘔吐したり、殴られたり、無賃乗車されたり不快な出来事は日常茶飯事で、もちろん事故に遭ったこともある。夜通し流しても数千円しか稼げなかった日も多々あったらしい。

遅い夕食をとって、仕事にでかける父を、私と妹が家の前で見送った。水田に挟まれた農道の先の曲がり角で左折する父の車のテールランプが見えなくなるまで、手を振って「いってらっしゃーい!」と二人で叫んだ。蛙の合唱や虫の音色の一大アンサンブルに負けないくらいに大きな声で。父は小さくクラクションを二度ならしてこたえてくれた。

夏休みにはこのタクシー車に乗って、家族全員でドライブ旅行にでかけた。主に九州の温泉地に行くことが多く、嬉野、別府、黒川、湯布院、林田、雲仙、阿蘇、霧島、鹿児島等々、父が独りで運転して連れていってくれた。高速道や自動車専用道が整備されていなかった頃だから、下道を延々と走り続けたはずだが、母が心配そうに「少し休めば」と言うと、父は決まって「だいじょうぶ。わしはプロじゃけえ」と誇らしげに答え、煙草をくゆらした。私と妹は安心しきって熟睡していた。

カーナビのない時代、地図もいっさい見ずに、目的地に車を運転し、予定通りに着ける父。たしかにプロフェッショナルだった。


【2019年(令和元年)10月23日】 
 今日は沖縄に来ています。昨日の即位の礼のためか、空港の保安検査がけっこう厳重で、ジャケットまで脱いでくれと言われました。いくら安全の為とは言え、少しストレスがたまりますね。

 沖縄から福岡に飛び、博多から新幹線で鹿児島に移動。その後また福岡に戻りレンタカーで嬉野温泉に来ました。大村屋という旅館に泊まっています。父さんに連れてきてもらって以来だからおそらく50年ぶりの嬉野だと思います。街の案内によると此処は「日本三大美肌の湯」だそうです。因みに残りの二つは島根の斐乃上温泉と栃木の喜連川温泉えす。
かなりヌルヌルとした重曹湯なので、たしかに肌にはやさしそう。この温泉は飲用にも適しているそうで、温泉湯豆腐が名産です。

 博多からだと車で約90kmありますので、渋滞無しでも80分くらいのドライブとなります。空港は長崎大村空港が最寄です。九州の中でもどちらかというと地味な印象の佐賀県。都道府県魅力ランキングでは46位だそうです。最下位は茨城県で、これは7年連続。もはや不動と言っても過言ではありません。

 わが山口県は36位となんともビミョウな位置です。1位は北海道で、11年連続でこれまた絶対王者ともいうべき存在です。

 嬉野の仕事、終わったら下関に寄ります。二泊させてください。その後また嬉野に戻ります。

【2019年(令和元年)10月27日】
 無事、嬉野に着きました。今回の下関滞在はなかなかに有意義でしたね。何しろ、和室にテレビを置き、こたつを引っ張り出し、私と千恵美の部屋を大掃除して、サッシのパッキンを貼りかえ、押し入れの布団を干して、古くなったベッドのマットレスを捨て、そして電動剪定バリカンで庭の植栽を刈りました。庭はずいぶんスッキリしましたね。

 家具や家電製品は消耗品です。年月が経つと劣化したり壊れたりします。それはしかたないことなので、そうなったらなるべく早く捨てましょう。「もう新しいものはいらんよ。」なんて言わずに、必要なものは買い替えようね。台所と寝室だけで生活できるのかもしれないけど、私やチエが帰った時には昔みたいに和室でこたつを囲んでテレビを観ましょう。

 楽しみだなあ!

【2019年(令和元年)11月13日】
 朝08時20分羽田発の便で熊本に入り、そこでの用事を済ませて新幹線で博多に移動。そこから飛行機で沖縄に着きました。那覇市内のホテルに一泊します。那覇はどんな街角にも夜遅くまでやっている食事処があります。気さくな感じの居酒屋や、そば屋、ラーメン屋が県庁前駅近くにも並んでいます。元気なおばちゃんが数名で切り盛りしている定食屋さんに入り、お腹がすいていたので「焼肉定食」をたのみました。これで税込700円は安いですね。

沖縄はともかく、九州の各地は大半子供の頃に行った事があります。父さんが家族旅行で連れてってくれましたね。列車や飛行機は一度も乗った事ありません。すべて父さんの車です。天井に乗ったでんでん虫が誇らしげな、ドアに「ふるた」と書かれた山口ナンバーの個人タクシー。いく先々で「遠くから来たね。どんなお客さんが乗ってるんだろ」という目で見られました。ちょっと恥ずかしかったです。

マニュアル仕様の日産車、父さんはどんな行程でもひとりで運転してましたね。疲れだでしょうね。

私が社会人になって、父さんと母さんと何度か海外旅行に行きました。ハワイでは初めて乗ったリムジンにビックリして、「エンジンは何ccかのぉ。燃料喰うやろうな。さすがアメリカは豊かじゃねう」と妙な事であの国の本質を見抜き、ドイツではタクシーの車両がベンツである事に驚嘆した父さん。どこに行ってもそこを走る車で街を見てました。

海外でタクシーに乗るとかならず「俺も日本でタクシー運転しとる、と言ってくれ」と私に通訳させるんです。あれには閉口しました。



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