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平六の善意

 甘い脂の匂いのする、生まれたばかりの赤ん坊が、薄汚れた布の中に包まっていた。大きな頭を重そうに動かしながら、顔をしかめて、泣き立てている。堂島平六は、拾ったそれについつい見とれてしまった。ここに置かれてそれほど時間が経っていないのだろう。おしめが新しい。
「おもしれえな、こいつは」
 ひとりごとをいって、しげしげと眺めていると、ふいに赤子がぱっちりと目を開いた。堂島平六はぎくりとして、思わず後ずさったが、赤子は泣きもせず、大きな目で彼をじっと見た。そして、にこっと笑った。
 その笑顔につられて、平六は赤子に顔を寄せるが、今度は笑いもせずにじっと見あげてくる。「おれを知ってるのかい」平六はそう尋ねてみた。すると、赤子は大きく口を開けて笑った。その笑い顔を見ていると、堂島平六もついつられて笑ってしまった。
「おめえ、いい顔で笑うなあ」
 おもしれえやとつぶやきながら、彼はもう一度赤子の顔を眺めた。そして、この赤ん坊の親はどこにいるのだろうと彼は思う。そのとき、彼の耳に小さな泣き声が聞こえた。振り返ると、少し離れた物陰に若い女がひとり、しゃがみこんで泣いている。
「おい」
 平六は声をかけた。すると、その女は顔をあげて彼を見る。そして、あわてて立ち上がると、逃げるように駆けだした。彼はあっけにとられて、しばらくその場に突っ立っていた。
「なんだ、あれは」
 この赤子の母親はあの女だろう……と堂島平六は思う。彼は赤子を抱いたまま、女の後を早足で追った。女は逃げながら、何度も振り返って彼を見た。その怯えた表情と、彼の腕の中でおとなしくしている赤ん坊の笑顔とが対照的だった。
「なあ」平六は女に声をかけた。「おめえはこの子の母親だろう」女は立ち止まらないが、足をゆるめた。そして、ゆっくりと振り向いた。
「そうさね」彼女は答えたが、まだ警戒を解いていない。
「この子をおれにくれ」彼はいった。そして、赤子に笑いかける。女はしばらく黙って彼を見ていたが、やがてゆっくりとうなずいた。そして、また背を向けて駆けだした。その背中に向かって、平六は呼びかけた。
「なあおい」女が振り返った。その顔を見て彼は思った。やっぱり美人じゃねえかと。だが、彼のほうを振り向いた女の目には、まだ怯えの色が浮かんでいる。
「おめえ、この赤子の名はなんていうんだい」女は答えない。彼はもう一度呼びかけたが、女はそのまま駆け去った。
「なんでぇ。貰っちまってもいいのか」彼に抱かれた赤子はまた笑う。
「今年に入って三人目だな。多すぎる事はねぇが、しょうがねぇなぁ」そう言いながら、平六は赤子のいた箱の中に金を置いた。

一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!