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にゃくいちさんのわからないところ

 小説『にゃくいちさん』を呼んでくれた皆様。ありがとうございました。
 実は、このnoteに投稿する前に、出来上がったものを、少しの間寝かしてから、自分で読んだのですが、はっきりいって、おもしろいとか、おもしろくないの次元ではなく、何の話なのか、自分で書いた物語なのに、意味がわかりませんでした。
 修正して、ここに投稿しましたが、おそらく、抜本的には直っていないでしょう。おそらく、読みづらかったと思います。以下、補足を書きます。といっても、余計に意味がわからないかもしれません。

にゃくいちさんについて

 にゃくいちさんについてですが、若一王子から、その響きを拝借しております。若王子とも呼ぶ神仏習合の神様の名前は、天照大神と同一視されており、若宮さんと称されたり、王子神社といった名前で祀られています。
 にゃくいちさん本編では、僕は「にゃくいちさん」とは何かという説明をほとんどしていないので、意味がわからなかったと思います。
 端的に言うと、にゃくいちさんは、果杏の里で産まれ育った、若い女性の事です。彼女達には二種類の出自があって、果杏の里に住む、久慈の氏人の子供である事と、嘉久から帰ってきたにゃくいちさんの腹を切り裂いて誕生させられた胎児が育った姿であるのです。
 前者の方、氏人の夫婦から産まれてくる「にゃくいちさん」は、その生まれた日時が「にゃくいちさん」になる条件です。それが確認されると、その夫婦は、生まれた子供をアヌの屋敷に献上するのです。

アヌとイナンナ

 シュメールの神話からその名前を拝借しています。それと似通った点はありますが、別物です。本編では「アヌ」は登場しません。名前が時折出てくるだけですし『ちらほらと信仰の象徴で語られるアヌが、何者なのか、彼女はわかってはいない筈だ。』と説明をしない事を、僕は示唆しているのです。シュメールでは天空の神で、またの名を「アン」と呼ぶそうですが、僕は天照大神のつもりでこの本編を書いていました。僕の物語のアヌは、時折アヌ婆さんと書いております。また、祭りの最中に、祭祀王に『アヌ様もイナンナ様のご帰還を喜ばれておられることでしょう。次の大祭には、きっとおいでになると思います』と言わせております。これは天岩戸伝説でいうところの、世間が真っ暗になっていると匂わせています。

 とはいえ、アヌの事を丁寧に説明できれば、物語に奥行きができたのかもしれません。反省です。

祭祀王

 天皇陛下の事です。本編で、天皇陛下と書かなかったのは、僕なりの畏れです。

何の物語だったのか

 時折、本編に書いたのですが、この世界の実体と本体は何なのかという疑問の提起です。僕は、少年の頃からの疑問を今も持ち続けている、イタい中年でしょうか。現実社会・現実世界の存在自体を疑うというのは、現実逃避です。こういった考えは、自分に甘く、環境のせいにする傾向があります。それでも僕は、そういう事を考えてしまうのです。
 この物語の主人公は李亜という若い女性です。彼女に何か目的があるわけではありません。彼女のルームメイトの明妃とは、同郷であると書いていますが、二人は自分がにゃくいちさんである事は忘れております。彼女達は、施設の出身であると言っています。そこから逃げ出したと匂わしていますが、僕はハッキリと書いておりません。
 そうなんです。この物語は三人称で書いており、僕は断言をしていなかった。それが、この物語の曖昧さの原因でしょうね。

 途中で、李亜の恋人の春松が、スマホが壊れた時の発言『いや。データが本体で、機械はただの入れ物なんじゃないかなって思うんだ』と

「ほな、人間の本体はなに?」
「欲望」

ってところはその疑問と、その答えを書いたつもりです。人が死んで、次の世代が産まれてきても、根本的にやることは同じなのです。

 そして、この物語で書きたかったというか、僕が言いたかったのは、人間達は、自分が勘違いしている事を自覚するべきだという事です。
 それで、わけのわからない儀式を僕は書いてみて、生きている実感を伝えたかった。グロい描写は、生につながると僕は思っています。その技術は途上ですが、書きたい事はあるのです。

 やっぱり、僕は人に伝える技術が低い。この物語も見せ方を変えると、わかりやすかったかもしれません。世界観が自分だけになっているのを修正したいモノです。



一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!