見出し画像

粗末な暮らし6

「わかんなくていいよ。それより、お腹空いたでしょ。ご飯を食べようよ」
 アンバーはそう言うと、入江田の腕を引っ張って食堂に向かった。彼は何一つ解決していない疑問を抱えたまま、抗う事をしなかった。入江田の思索は、自分の意志を偽ってわざと逃げる選択をしていた。その偽りは、滑らかさを失って凝固していく可能性があった。
「ほら。行こうよ」

粗末な暮らし5

 食堂にはマテオがいた。彼は、テーブルの上にトレイを置いて食事をしていた。入江田達が近づくと、マテオは食事を止めて二人を迎えた。
「こんにちは」アンバーがそう挨拶すると、マテオは「はい。こんにちは」と言った。入江田の目の前の男は、彼が知っているマテオとは違う雰囲気を纏っていた。それはまるで、蝉が羽化をしたような変化だった。自分のすべての過去を葬って、新しい何かに生まれ変わったようだった。
「マテオ?」入江田は、マテオに呼びかけた。
「はい」
「えっ?」入江田は驚いた顔をして、再び問いかけた。
「マテオ・クティだよな?」
「そうですよ」マテオはそう言うと、二人に座るように促した。マテオのトレーには食べかけのマカロニ・アンド・チーズと、手を付けていないリンゴが乗っていた。入江田は、アンバーと並んで椅子に腰を下ろした。
 しばらく沈黙が流れた。マテオはニコニコしながら二人を見つめていた。
入江田は、自分がアンバーに対して、何を言いたいのか整理することができなかった。マテオは、アンバーのことを探っていた。しかし、目の前のマテオはアンバーの存在を当たり前のように受け入れている。不可解なことばかりが入江田の頭の中で錯綜していた。一つ一つの事柄に因果関係などないのではないかと入江田は思った。
「イリエダ。何か食べますか?」マテオがこめかみに指をあてた。それは先程彼がみせた仕草と同じだった。
「いや。いらない」
「そうですか。フィフティー・ワンの食事もありますよ。スシとか……」
「ちょっと待て。お前は誰だ? マテオではないだろ?」
「私はマテオです。マテオ・クティ」
「嘘だ!  僕が知っているマテオとは違う!」
「佐吉。落ち着きなって」アンバーが口を挟んだ。入江田は逃げ場を見いだす事ができなかった。彼は柔順に黙ったまま、まどろっこしく見えるこの状況に、なす術が何もなかった。こんな素直で、殊勝げなマテオは明らかに別人だった。

続き➩粗末な暮らし7

一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!