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日本人はどこかの国にいる。

 厭な臭いが俺の鼻を濡らした。店と店の間の路地に、白い肉塊が転がっている。「し、死体じゃないか。あれは」と安達四郎が吐き気を催しながら、情けない声をもらした。転がる肉塊は男の死体で、 衣服は何もつけておらず、痩せた身体を晒している。
「どうせフェンタニルとかの過剰摂取でくたばったんですよ」と俺はめんどくさそうに答えた。どこで買い取ってくれるのか俺は知らないが、死んだ人間のボロでも剥ぎ取られる。俺にとっては日常ではあるが、この日本人には地獄のように見えるのかもしれない。
「この街にいて、よく平気でいられるな」
 慶仁邨の警察署に入る前に、安達が下手な英語で俺にそう言ってきた。それで俺は「平気なんて事はありませんよ。正気を保つために、我々がどれだけ苦労しているのか、あなたは理解できていない」と早口でまくし立ててやった。英語が聞き取れなかったのか、安達は不自然な相槌をして、何故かヘラヘラとした顔をする。このような顔をする日本人は他にもいた。敵意がない事の証明なのか、何かを誤魔化しているのか、なにんにせよ気味が悪い。
「二階にご案内します。階段で行きます」
 俺は有無を言わせず、入り口の近くにあったエレベーターを無視して中央の階段を目指す。
「彼女はここにいるのか?」
「自分で確かめてください」
 廊下の窓から白い光が容赦なく差し込んでいたので、目を細めて俺はそう言った。理由はないが、自分がなぜ警察官をしているのかという疑問が急に頭の中に芽生えた。それが原因で一種の冷淡さを顔に表わして、俺は安達の為にドアを開けた。
「こんにちは」俺と目が合ったからなのか、楽しくもなさそうな明るい声で、その女は俺に挨拶をしてきた。拘束はしていないが、丁寧な扱いをしている訳でもないのに、彼女は安達と同じようにヘラヘラしている。
「地震怖いですねぇ」女性は今度は一段階高い声で話しかけてきた。白痴かなにかの類なのだろうか? こいつらは無意味で的外れのコミュニケーションを求めてくる。
「えぇ」俺は曖昧にしか答えられなかった。それで「安達氏をお連れしました」と早々に退散しようと目論んだ。
「あなた誰?」
 そこからは、彼等は日本語で話し始めた。迷子の日本人を保護したのは今月に入って二回目だという事に俺は今気がついた。

一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!