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シャーデンフロイデ

 何か理由もなく、やるせない気持ちになると、僕はアテもなく歩くようにしている。何の為に歩いているのか自分でもハッキリした事はわからない。気がまぎれる事を期待しても、そんな事は得られないし、新しい出会いなどもない。やるせないという気持ちというのは虚無感で、それに対抗する事を忘れる為に歩くのだろう。否。この世を重圧する畏怖に耐えられなくなり、ただ黙々と憐れな自分のプライドを急拵えする為に歩いているのかもしれない。
 歩くところに目新しさはない。通りの角にあるから「角屋」と名付けられた定食屋の婆ぁが、硝子戸越しに僕に媚を送ってくる。この婆ぁは、なんでも隣町の地主の娘らしく、親父の遺産をもらってここで店を構えたらしい。それから何十年もここで今日も商売をしているものだから大したものだ。ただ、婆ぁは兄弟姉妹と反りが合わないらしく、常連客に悪口を言っているのを僕は何度か耳にした。
 その隣は仏壇屋だ。そこの主人は滅多に口を利かない。ただ、にこにこと笑うだけだ。どう商売をしているのか知らないが、人の信心で飯が食えているから喋らなくともいいのだろう。
 それから二軒の家屋が向い合って立っている。片方の家の前庭は広く、薔薇が縁を飾っていて、和風モダン建築のおしゃれな家である。この家の娘は、この辺りで評判の美人だった。その娘というのは僕と同じ歳で、既にこの家から他の家に嫁いでいるが、この家はその娘のおかげで今でも幸せそうにみえる。それに対して、向かい側の家は辛気臭い。それは事情を知っているからそう思うのではなく、家が廃れているのが目に見えてわかるからだ。灰色がかった壁の色は、元の白さの片鱗が残っているのが余計に惨めだ。ここの親父は仕事中に事故死した。詳しい事は僕は知らないが、機械に挟まれて、体の形が変わってしまったらしい。それだけでなく、その息子は今、塀の中にいるそうで、残った娘とその母がせっせとその日暮らししている。
 上品になりたくても上品にはなれない僕は、他人の揚げ足取りで自分を安心させたいのかもしれない。次に目にした花屋というのは……という具合に人の噂のできるだけ後ろめたい事を真に受けたい。やるせなさの解消などはできないが、他人の不幸がそれを薄めてくれる。

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