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三千円の半分

 健一は、ダイニングで缶ビールを飲んでいた。私はというと、サブスクで海外ドラマを見ていたが、そろそろ寝ようと思い、リモコンを手にした。
「なぁ。俺が買った宝くじが当たったらどうする?」
 唐突な質問が、健一の退屈しのぎに聞こえた。冷房がききすぎて、少し寒気がした。私の頬や、むき出しの腕が、冷たく乾燥しているのがわかった。
「宝くじ?」寒さを感じた私は、ベランダのガラス戸を少し開けた。
「あぁ。当たったらどうするかって聞いてるの」
 健一は、今度は早口で言った。一秒か二秒の間、私は動かないで、彼を見ていたかもしれない。そうしたのは、単なる戸惑いではなく、こんな些細な事でも、私はイラつくようになったと自覚したからだった。
「半分もらって、家を出ていく」
 絶対的な暗いイメージを、何かで包んだ冗談のつもりだった。
「そうか。出ていくのか」
 健一は、口を緩めただけで、何も話さなかった。不自然な沈黙の意味は、別れの気配かもしれない。
「俺、三千円当たったんだ。半分やるよ」
 ベランダからの熱気で、冷房の空気が静かによどんだ気がした。少し前の暮らしに戻ることはない。そんな事の隠喩にも思えた。
「それって冗談?」
 圧倒的によせてくる、淋しさの力に私は逆らいたかった。いや、淋しさを否定したかった。ありとあらゆる、思い出のエネルギーをなかった事にして、私はこの家を出て行ってやろうと本当に思った。
「はぁ? 三千円の半分だよ。いらねぇのか?」
 もう無理だろうな。私はそう思う事にして、何とか怒りの材料を頭の中で探し始めた。一時の淋しさを隠すように。


おわり

一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!