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Torn エレベーター4

 あの時と同じだった。アキヨが夜のプールを見たいと言った。花火が終わった後にすぐにアキヨは帰りたくなさそうだった。昔の俺は、それは少しでも俺と一緒に居たいという事だと自惚れていたが、それとは違う寂しさがアキヨにはあった。そのくせ、いったんこうと決めたら、梃でも動かせない、強い意志がアキヨにはあった。
「なれるよ。ってか、そういう事になっているよ。スチュワーデスになる為の試験の事は詳しくわからないけれど、アキヨは何にでもなれるよ」
 一度経験したことを、改めて繰り返すというのは、余裕がある事だと俺は思った。俺は夜のプールで再び裸にならなかった。少女の姿のアキヨをどうにかしようと思わなかった。ただ、アキヨの寂しさの原因は、将来の夢ではないと思った。昔、気がつかなかったのは、自分の事も含めて、何も考えていなかったからかもしれない。ただ、それは、40歳の俺もそうだ。
「まるで未来を知っているみたいだね。でも、そう言ってくれて嬉しい」
「本当の事だよ」
 そう言いながら、25年後に死ぬこと以外に、俺はアキヨの事を何も知らない事に気がついた。昔の俺は、アキヨに運命的な事を感じながらも、相手の事なんて考えていなかった。アキヨに何かをしてやりたいと思っていなかった。アキヨじゃなくてもよかったのかもしれない。あの頃の俺は、誰でもいいから、そういう存在が居ればよかった。もしかしたら、俺が知らない間に、アキヨをがっかりさせたり、恐れさせたり、泣かせていたかもしれない。それに気がつかないまま、俺は平気で笑っていたのかもしれなかった。だから「思ったよりもつまらなかった」とアキヨに言われて、俺は勝手に傷ついたのかもしれない。
「まるでずっと前から私の事を知っているみたい。ねぇ。なんで私を花火誘ってくれたの?」
 こんな感じだった。言わなくてもわかる事なのに、俺は言葉を求められた。アキヨは告白されることを望んでいた。だから、夜のプールなんかに忍び込もうと言った。当時の俺はその事で頭がいっぱいだったが、本当は他にも事情があるのだと思う。
「ずっと知らなかった事を確かめたいんだ」
「えっ?」
「俺はここで、アキヨに『好きだ』って言うんだ。『付き合ってくれ』って言う。知らない事っていうのは、アキヨの事でありながら、本当は自分の事かもしれない」
 アキヨは明らかに戸惑っていた。俺には若さがなかった。照れも勢いもなかった。熱情がなかった。当たり前だ。姿は16歳になる少年だが、心は未来のまま。どれだけの言葉を使っても、少女のアキヨを満足させられない。
「それって、告白?」
「なぁ。どこで差が出るんだろうな? アキヨの事を満足させたいんだ。抱きしめればいいか? そうしたところで、未来の俺は、何も変わらないんだ。アキヨは、なんで自分の夢を語ったんだ? 何で俺の夢を聞いたんだ?」
 会話が成立していない自覚はあった。それは大した問題ではなかった。俺だって、本気で悩んだりなんかしていない。芝居のような台詞を吐いて、俺は自惚れたいだけかもしれない。
「やっぱり、今日のコウキなんか変」
 俺の問いかけを無視して、アキヨはそう言った。そう言っても、アキヨは不機嫌という訳ではなさそうだった。
「私も……私もってか、私はコウキの事好きだよ。だから、今日は嬉しかった」
 何故か俺の胸が痒くなった。こういう事が青春だったのだ。夢ならば、今覚めて欲しい。俺はこの世界でこれから、どう振舞えばいいのかわからない。まだ、40歳の現実の方がマシだと思った。


つづく

一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!