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対処法

存在を忘れている地下鉄の灯りが、暗い線路道を照らす。車内にいる私は震動を背中で感じる。
何層かにわたって、都市の地盤をスカスカにしている路線は、あらゆる方面に伸びている。東京だって大阪だって同じだと思うのに、この都市の地下鉄を特別に感じるのは、自分がいかに、いろいろなものと戦っているのかを、実感させられられているからかもしれない。
「女一人。ニューヨークで何ができる?」そんな声は聞こえなかった。今も聞こえない。
雑音は、私にとっては考えても無駄な事。この地下鉄を、軽くゆさぶったら、地上のあらゆるものを飲み込んで、ごそっと地面が陥没するのではないだろうかと心配するような事と同じ。

だからと言って、私が何にも動じないかと言えば嘘。

例えば今、同じ車両で起きている事。
私はただ動けないままでいる。

アジアンヘイトってやつ。
目の前でそれが起きているのに、見なかった事にして、私は心のドアを閉じる。それは、厄介事を締め出す心の動き。

「おい。チンク!英語しゃべれるの?」
「わかるわけねぇだろ。お前馬鹿か?こんな奴にわかる訳ねぇ。それに、こいつには、まともに英語を喋れる家族だっていねぇよ」

私と同じ年代の女性が、白人の若い男2人に絡まれている。1人は目尻を横に引っ張って細くするポーズをしている。いきなり殴りかかるような輩ではないが、姑息な分だけ腹が立つ。かといって、臆病な自分は、事が過ぎるのを待っているだけ。このままでいいわけがない。
私は自分がここにいるとアピールするように、サングラスを外し、策もなにもないが、とりあえず、立ち上がった。

「じゃかましいわ!」

私の心配を余所に、それまで黙っていた女性が一喝した。関西弁?

「黙って聞いとったら、おどれら調子に乗ってんやないど!鼻の穴から割り箸突っ込んで下からカッコンしたろかワレ!!」

白人達は立ち竦んだ。意味がわからない言語を浴びせかけられているが、その言葉が、体にダメージを与える力がある事を理解しているようだった。

「おい!そっちの小さいほう!ワレ、それ何のつもりじゃオウッ!!お前の頭スコーンと割ってストローで脳みそちゅーちゅー吸うたろか!!」

女性は立ち上がり、スラント・アイズをしている方の若者の胸倉をつかんだ。男は「ええっ」という顔をしながら、両腕を下にタラーンと垂らした。

「コンクリート詰めにして南港に沈めんど」

最後は低い声で、捕まえた男の耳元で囁くように言った。男たちは追い立てられたカエルのように開いた扉へ跳んで逃げていった。私は何もできなかった自分が恥ずかしい。
せめてもと思い、その女性に声をかけた。

「大丈夫でしたか?」

女性は、上目遣いになり、自分の右人差し指を立てて、それを、彼女の口の右側に持ってきた。

「こわかった~」

私は敬意を表して、ニューヨークの地下鉄でズッコケたのだった。


おわり



一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!