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粗末な暮らし4

「人類のね。そうかい」マテオはグラスの底に残った酒を舐めるように飲んだ。「フィフティー・ワンの酒は旨いな。本当にな」マテオは同感を求めるような語気ではなかったものの、少し面倒くさくなったのかもしれない。
「アンバー・ハーストと言ったな。彼女は何者なんだ?」入江田は話題を戻した。
「さぁな。全ては俺にも分からない。情報の許可が進まねぇ。ただ、少なくとも、普通の人間じゃねぇな。あんなのは初めて見るぜ」 

粗末な暮らし3

 マテオは自分の首の後を入江田にみせながら言った。そこには黒い筋のような血管が網目のように走っていた。
「それが拡張か?」
 焚火の火を見つめるように、不思議な興味を感じながら入江田は、マテオの首を見ていた。死にゆく運命を超越する事がトランスヒューマニズムの信念だが、その何段階目がマテオが行った拡張だ。そうすることで、端末無しで脳をインターネットに接続できる。また、何かしらの認知能力の機能が拡張されている。そうでなければ、マテオの能力では、双児宮計画のパイロット候補になれなかったはずだ。
「イリエダ。もしかしてお前、勘違いしていないか?」
「は? どういうことだ?」
「だからな。俺達が見ている世界なんて、ほんの一部だってことだよ。あの女を見た瞬間にわかった。俺がやった拡張など児戯にすぎない」
「意味が分からんぞ」入江田はマテオの言っていることが理解できなかった。
「つまり、脳の機能の全てだよ」
「全て?」
「そう。全てが拡張される。それが感染した人間の義務だ」
「アンバー・ハーストの身体はどうなっているんだ? 」入江田は興奮して声を上げた。
「それは本人に直接聞けよ」マテオは入江田の反応を楽しむかのように笑った。ひっそりと呼ぶよりもさり気なく、滴が垂れるような当たり前の感じでアンバーが入江田の後ろにいた。
「アンバー・ハースト?……」
 アンバーは、入江田の顔を見るなり「やぁ」と言い、マテオに視線を移した。
「昨日私を尾行していたよね?」アンバーはマテオと対面すると、すぐに切り出した。
「あぁそうだ。あんたに興味を持ってな」マテオはそう言うと、手酌で自分のグラスに酒を注いだ。
「私の事が知りたいのなら、なぜ直接聞かないの?」アンバーは腕を組みながら言った。
「はっ!  俺がシャイボーイとでも言うのかよ」
 マテオは挑発的な態度で、鼻で笑うように言った。そして、アンバーを睨むように見つめると、彼女の胸元から腰にかけて視線を動かした。
「それに、そんな事は自分で調べられる」
「あなたは私を調べていた。そして『ある程度』私の事を知った。それで、満足しない理由は? 」
「もういい」マテオはそう言い終わると同時に席を立った。
「おい。待ってくれ」入江田は慌てて立ち上がり、マテオを追いかけた。
「どうしたんだよ」マテオは振り向くと、入江田を見て言った。
「全てを疑ったほうがいい」
 闇のなかの吐息のように、マテオの姿はふっつり断ち切れてしまった。入江田は、なんでもない「何処」という概念に微かな戦慄を感じた。絶望的な順序で消えてゆく自分自身を、なぜだか想像し、言い知れぬ恐怖を覚えた。
 マテオがいた背景に山があった。方角が北なのだと入江田は悟った。

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