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満月と教室

最近仲良くなった人たちと、ランダムに選んだ2つの言葉を無理やりこじつけて、「だから同じだ」という言葉遊びをした。アイディア出しなんかのために、適当な単語を挙げてくれるサイトがあって、それを使って。

満月と教室。そのお題で私が書いたのがこれ。

教室。行き場のないエネルギーが満ちるところ。ひとところに集められたそれは人いきれとなって雲ができる。
雲が晴れた夜に浮かぶ満月。海が満ち、樹液が満ち、私たちの体に力が満ちる。
教室によって満月はあらわれて、満月によって力を得た私たちはまた雲を生み出す。だから満月は教室で、教室は満月。その循環の中に私たちがいる。

当たり前かもしれないけど、ほかの人たちの共通点の見つけ方は全然違って、それがよかった。

満月は悠久を感じさせるのにやがて欠けていくように、教室にいた頃はその時間が永遠のように思うけど長い人生の中で見たらそうでもない、とか。

教室にいたあの頃、たしかに教室が世界がすべてで欠けるところがないように思えて、それがまるで満月みたいだ、とか。

教室という言葉がノスタルジーを刺激するので、出発点は似ている。そこから先の広がりは、その人の内面に近づけたようでおもしろかった。

本当に10年ぶりぐらいにこういう創作の文章を書いて、なかなかいいじゃんとか思ったが、深夜テンションでやたら勢いがよかったのもあって、今になって読んでみるとよくわからない部分もあるな。まあ無理やりこじつけていく遊びだからそんなもんかもしれない。それに、思春期に書き散らかしてネット上に公開していた詩やらなんやらの方がもっとすごく恥ずかしい。あれはあれで、当時のみずみずしさとか息苦しさとか、持て余したエネルギーみたいなのを感じられて、自分で振り返る分にはいいんだけど。

そして星新一のすさまじさを改めて思い知るなど。短い文章で物語を完結させて、なおかつおもしろいのは本当に並大抵じゃない。

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