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ひとりぼっちの楽しみ⑤ 本を読む

 淋しい寝る本がない      尾崎放哉
 
 出かけるときにバックに本がないと不安である。東京へ行くときは、往きと帰り用に2冊もっていく。たいてい出かけた先で本屋に入るので、帰りに本は4冊か5冊に増殖して、重いバッグを担いで帰ってくることになる。
 車で近くに買い物へ行くときにも本をもつ。夫が「すぐ帰って来るのに」というが、世の中はなにが起こるかわからない。車の事故で警察を待つあいだとか、隕石が落ちてきて通行不能になって開通を待つあいだに本があれば助かる。災害や戦争が起こって、すぐに避難しなくてはいけないとき、本を選んでいて逃げ遅れそうである。
 尾崎放哉の句は、寝るときに読む適当なものがなかったのだろう。寝るときに読む本というのは大事だ。むずかしい哲学書だと3行で寝てしまうが、ミステリーなど選ぶと眠れなくなる。
本好きは小学生からはじまった。図書室の本をぜんぶ読んでやろうという野望をもっていた。親が本好きではない。思い当たるのは友達がいなかった。本好きの子どもというのはそういうものだ。
 小学校の卒業文集で将来の夢をひとりずつ書く欄があった。わたしは「本に囲まれて暮らしたい」と書いた。先生からは、「そういうことではなく、仕事よ」と直すよういわれた。しかたなく、流行っていたスチュワーデスと書いた。先生は満足した。
 中学生になると、漫画に夢中になった。映画も好きになり、ビートルズから音楽にも興味がいった。ひとりでも楽しく暮らしていたのだけど、先生の面談で「本ばかり読んでいないで、友だちをつくりなさい」といわれた。
 家の事情で進学ができずに、高校を出て川崎市の郵便局に就職したが、同級生がみんな大学へ行って勉強しているのがうらやましかった。夜間大学があると知り局長に相談したら、「女が勉強しなくていい」といった。わたしは局をやめて、一人バイトしながら勉強をはじめ、次の年に夜間大学に入った。
母は、私が本ばかり読んでいるのを気に入らなかった。公務員を辞めたことも怒っている。
 20代の私が本を読みながら洗濯をしていると、母は「本を読みながら家事をするものではない」「子どもができたら、話しかけないといけない、本ばかり読んでいて子育てできない」と、まだ結婚もしていない娘に注意した。
 大学というのは本を読むのが仕事だ。同じ興味の人たちが集まっているので、わたしにも友だちができた。30歳になるころに、本をつくる人と結婚もし、子どもをもった。
 わたしの人生でいちばん正しかったことは、本を読むことを邪魔しない夫を選んだことだろう。我が家は本を読むことがいちばん価値あることだ。そういうわけで、子どもができようが貧乏だろうが、本とともに生活があった。
 この春、遠野にある山の家の近くに放置されていた牛小屋を借りてリフォームし、「やませみ文庫」(5月~10月の金土日営業)というミニ図書室を開いた。古本屋もかねている。朽ち果てそうだった牛小屋を修理し、荒れた庭を整備して5、6年かかってようやく使える部屋にした。まだまだ直すところは多いが、完璧を考えたら、私たち夫婦が老いて動けなくなってしまう。
 山里の奥の文庫である。正直誰も来ない。たまにまぎれこむお客さんや近所の子どもが漫画を読みにきたり、近所の人とお茶のみしたりしている。
 文庫の部屋には自分の好きな本が並んでいる。じつは2年前に夫は倒れて山の家に住むことをあきらめ、断捨離のため多くの本を捨ててしまったのだ。夫は元気になって悔しがっている。
風のとおる小屋の中に立つ。蝉が鳴いている。「そうか、わたしは子どものときの夢を実現したのだ」と思う。本に囲まれて暮らしている。
大野林火の句。うちはテレビがない。年末年始はそれぞれが読みたかった大作を読むのだ。特別に買った本の匂い。これで無敵なお正月が迎えられる。
 
 本を買へば表紙が匂ふ雪の暮れ  大野林火
 

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