美味しい茸

 美味しい茸
 
隣に住むおんちゃんが「茸とりに行こうと」と誘ってくれた
すぐそこの森にボリが一面に生えているのだ
躊躇する気持ちがあった
でも、「行くよ」と言って籠を手にした
茸とりは面白い。夢中になってとる
おんちゃんが切り株に腰かけてつぶやく
「胡桃ちゃんよ、なんでこんなことになったんだ」
 
息子たちが小さい頃、友人が本を整理したからとたくさんの絵本を送ってくれた。そのなかに写真家・本橋誠一の『チェルノブイリの風』があった。
チェルノブイリ原発事故は、1986年4月28日。
その本の発行は、1993年4月26日。
本橋誠一はチェルノブイリから170キロ離れたチェチェルスクにいる。事故が起きたときにチェルノブイリからの風で放射性物質が運ばれ、土地が汚染された場所。強制移住区域なった村である。でも、強制移住に応じず村で自給自足的生活を営んでいる老人たちがいる。その写真絵本のなかで一番印象深いのが、食卓にならんだご馳走である。塩豚、目玉焼き、川魚のフライ、マッシュルームの酢漬け、ヨーグルトとはちみつ、トマト。ぜんぶ自家製である。山や川から採り、畑で育て、豚や鶏を飼う。昔ながらの生活。そのご馳走に放射能物質がふくまれている。作者はもちろん、たらふく食べる。
 
それは遠いできごと、だったはずである。
2011年3月11日東日本大震災がおこる。その後福島原子力発電所が爆発。
福島原発から322㎞離れたこの山里にも放射能がふりホットスポットとなった。
山菜、茸は食べてはいけない。牧草を牛にあげてはいけない。薪を燃やしてはいけない。
薪の灰は畑にまかないで、袋にいれてゴミに出すように。
 
かんたんには生活は変えられない
老人ともうすぐ老人の
わたしたちは山菜、茸を食べ、鹿を食べ、薪を燃やした
おんちゃんは山の人である。釣り名人でもある
山のものを食べてはいけない、どういうことだ
何事もなかったように緑は生え、川に魚はいる
 
「なんでこんなことになったんだ」
おんちゃんは電気を少ししか使っていない
東京へもいったことがない
ほんとうにわからないのだ
その夜、茸汁をつくった
どれだけの人が傷ついているのか
茸汁はいつものように美味しいのに
不信と嘘が隠されている
「なんでこんなことになったんだ」
健忘茸をたべたように
わたしたちはすぐに忘れてしまう
「なんでこんなことになったんだ」
疑問さえ言えなくなっている
山の幸はあいかわらず美味しい


※2020年・夏 季刊詩誌「舟」180号。
 
 
 
 

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