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育児エッセイ「初・高齢出産で無痛分娩にチャレンジしてみた 無痛分娩は本当に無痛なのか⁈」その1

育児エッセイ「初・高齢出産で無痛分娩にチャレンジしてみた 無痛分娩は本当に無痛なのか⁈」その1
BY マタギちゃん

こんにちは、マタギちゃんです。コロナ自粛生活が始まり、はや1か月以上。街はどこもかしこも自粛休業、GWというのにどこにも遊びに行けない日々が続いています。こんなご時世、医療従事者の方々の働きぶりには日々感謝とご苦労をねぎらいたい気持ちが募ります。
そして、せっかくの待望の赤ちゃんを授かったというのに、立ち合い出産も里帰り出産もままならない、日々感染の不安と戦い、おなかの赤ちゃんを守り育てている妊婦さんたちにも、なんとか無事に赤ちゃんを産んでほしいと祈願する毎日です。
さて今日は、せめて無痛分娩を希望されているが不安で踏み切れない妊婦さんやそのご家族や、そのうち自分も赤ちゃんを無痛分娩で出産したいと希望されている女性に向けた、私のドタバタな体験談をお話させていただこうと思います。


●「待望の妊娠!憧れの無痛分娩」
37歳で結婚し、2回の流産を経て、不妊治療もやめてあきらめかけて苦しんだ末にやっと42歳の誕生日に、再び妊娠検査薬が陽性反応だった私。自然妊娠でした。以前にいずれも7週までに流れてしまったので、この時も7週までは気が抜けず(というか生まれた我が子の顔を拝むまではけして気など抜けないのだが)やきもきして過ごしていたのを覚えています。
そして、胎嚢と心拍が確認され、ようやく妊婦と認定された私は、近所の婦人科クリニックの先生に「当院では分娩はできないので紹介状を書きます、ご希望の産院や病院はありますか?」と聞かれ、迷わず「順天堂大学病院(以下J大と表記)で、無痛分娩を希望しています」とニコニコで答えた。すると、茶髪でサーファー風のイケメンのそのドクターは「無痛には反対ですね。自然が一番です!まあ、一応紹介状は書きますけどね……僕はお勧めできませんよ」と不機嫌に答えたのであった。
それもそのはず、あとで分かったのですが、そのドクターは聖路加病院系の先生で、聖路加は自然分娩を推奨している派閥なのでした。
私は、親友が5年前にJ大で出産したときにお見舞いに行ったことがあり、ハッピーな思い出の詰まった産科病棟なので、ひそかに自分が産むときも「ここがいい」と憧れを抱いていたのです。さらに、身の回りにも数人無痛分娩を経験したママさんたちがおり、みんなからこぞって「無痛サイコー!絶対無痛にした方がよい。」と言っていたので、自然と「J大で無痛分娩」という選択肢以外は排除されていたのでした。


無痛レポートその1


●「衝撃!高齢というだけでハイリスク出産認定に…」
J大には8週目に初めて診察してもらいました。その時、「セミオープンシステム」なるものに登録します。登録者に手渡される診察ノートがあるのですが私はその1ページ目を開いて愕然としました。
「初期妊娠リスクスコア」といって、自分のお産がどの程度リスクを負ったものであるかをチェックできるアンケートのようなものが載っています。
全部で18の質問に答えていくことで、どの程度のリスクがあるお産かどうかを判定できます。
・身長が150センチ以下である
・排卵誘発剤を注射したことがある
・たばこを1日20本以上吸う  などが→1点
・性感染症を治療中である
・巨大子宮筋腫がある など→2点
というような感じで質問に答えていき、合計0~1点だととくに問題なし。
合計4点以上ある人はハイリスク妊婦として、それ相応の対応病院にて主治医と妊娠分娩についての相談をしないといけないらしいのです。
で、私もさっそくやってみました。
1問め……あなたの年齢は?
     ・16~34歳  0点
     ・35~39歳  1点
     ・15歳以下  1点
     ・40歳以上  5点

ハイ、すでに5点です。2点でも3点でも4点でもなく、いきなりの5点です。もうこの1問めで私はハイリスク妊婦に認定されました。身長が150センチ以上でも、体重が65キロ未満でも、たばこを吸わなくても、42歳であるという事実だけでもうハイリスクに分類されるんです。
これも後で知ったことですが、40代の初産は、助産師さんの経営する助産院や個人経営の小さい産院でも断られることが多く、ハイリスクOKを謳っている大学病院などでしか出産できないらしいのです。まあ、この時点で大学病院の分娩予約が取れていた私には心配のない事実でしたが、知った時はショックでした。
ただ、助産院などで難なく出産できた場合、35~40万円という費用で済む場合もあり、国からの42万円の助成金でおつりがくるという一方で、大学病院では基本の分娩入院代は70万円以上、無痛にすると95万円以上になりそうという恐ろしい見積もりが…
仕方ない、若い時をボケーっと生きてしまった私の責任でもあるので、今から夫婦で節約生活、貯金していくしかない。


●「J大病院の無痛分娩システム」

ハイリスク妊娠であることは厳かに受け止め、粛々と初めてのマタニティーライフを満喫することに決めた私でしたが、分娩予約は取れたものの「無痛分娩で産む」には、家族の理解と承認が必要です。
J大では定期健診とは別に1日数時間を確保し、その辺の説明を麻酔科のドクターが、妊婦本人が納得するまでじっくり行ってくれます。ついでに1冊の専門書ももらえるので家族に読んで納得してもらうことができます。
無痛分娩は麻酔医が常駐していないと不可能なので、J大では常時24時間麻酔医が待機していて、普通分娩で産むつもりだったが土壇場で怖くなって突然「無痛分娩にしてくれ~~~」と妊婦さんが叫んでも、すぐに無痛分娩が対応可能。
もちろんその逆で、無痛分娩を予約していたが、「あまり苦痛じゃないので普通で産めそう」という妊婦さんには自然分娩に切り替えることも可能(料金は割り引かれる)という柔軟さが売り。
なので、「私は何が何でも無痛で産みたいんだ!」というガチガチな決意がなくても、ギリギリまであいまいなまま、下手したら分娩室に入った後まで悩んでもOKというゆるさが嬉しいのです。
実際私の親友はこの病院で無痛を希望していたにも関わらず、我慢強い性質だったため、子宮口最大まで我慢できてしまったためそのまま自然分娩で産んでしまったというつわもの。「まあ、しんどかったけど、その分安くすんでよかったよ。でも、自然で産めたんだったらJ大で出産の意味あまりなかった」とのこと。
実際、日本の無痛分娩の草分け的存在でもあるJ大病院は、100年以上も前に作家の与謝野晶子が五男を無痛分娩で出産した病院として歴史も長く、年間の症例もおそらく日本でトップクラスだと思われますが、それでも行われるお産の4割は自然分娩らしいです。


●「無痛に厳しい世間の目 まだまだ日本は自然分娩崇拝の国」

ドクターからの万全な説明を受け、あとはお亭主の承諾を得るだけ。
最長、出産直前までに同意書にサインをしてもらえれば、私の無痛分娩が完遂できます。
ところが、お亭主は「私は反対です。まず15万円も追加料金がかかる。そして危ない。麻酔から目覚めなかったらどうする?下半身不随になったらどうやって子育てするんだ?」と渋い顔。私の実母も同意見でした。最初に妊娠判定を下してくれた産婦人科のクリニックのドクターももちろん反対派でしたしね。
わかる。
世間では、いまいち認知度の低い、理解もしてもらいにくい無痛分娩の現実。これって一体どうしてなんでしょうか?


●「無痛分娩が日本で浸透しない本当の理由とは」
マイナビのアンケート調査(男性100人、女性200人弱)によれば、日本人の実に8割が無痛分娩によるお産に反対派で、賛成派はわずか17%だったという結果が出ています。
ニッセイのレポートで、10年以上前のデータになりますが、ノルウェー、イギリスでは妊産婦の4人に一人が。ドイツでは5人に一人。アメリカでは5人に3人が無痛分娩を経て赤ちゃんを産んでいます。フランスでは5人中4人、8割が無痛分娩なのに対して日本では30人に1人いるかいないかというマイナーぶりです。
これはフランス人が苦痛に対して弱すぎて日本人が忍耐強いとかそういう理由ではなく、フランスは無痛分娩の費用もすべて国が負担してくれる制度を政府が作ったので、ここまで普及し、出生率をV字回復させるのに成功したらしいです。
「女性たちが、痛いの怖いから産むのやめる、ということのないように、無痛分娩(硬膜外麻酔)という素晴らしい技術があるんだから活用してジャンジャン子供を産んでもらおうよ!そのために費用は全額国が負担するよ」ということのようです。
そう考えると日本はまだまだ「痛いの怖い?痛いの嫌?女性なんだから痛みには強いでしょ、そのくらい我慢しなよ~、少子化?知らんがな。わしらのジジイ世代は逃げ切りラッキー!」という老害政治家が多いのでまだまだ男尊女卑思考の強い国であると言えるのでしょうか。
それからこれは私の私的な見解であるかもしれませんが、日本の「やっぱりお産は自然分娩でなくちゃ」の自然分娩崇拝思想というのは、多くの自然分娩経験者たち(先人母たち)の嫉妬もおおいに反映されているのではなかろうかと思うのです。
「私の世代の時はそんなもんなかったわ。みんなヒイヒイ言って産んだのよ。あなたたちの世代だけそんな便利なもので楽して産もうなんてズルイ」という妬み意識が根底にあるのではと思うのですが、いかがでしょうか?
私はかつて小学校で円主率を3.14で計算してめんどくさい思いをしましたが、いつぞや「今の子供は3で計算するんだよ」と聞かされ「なにっ!?けしからん、そんな楽を覚えたらアホになるで!」と一瞬思ってしまいました。それと根本は同じかと。
そして、日本で無痛分娩がいまいち浸透しないほかの理由としては、
・麻酔医の人手不足
・麻酔医の地位の低さ
・希望しても可能な施設に空きが足りない
・妊婦の身内に反対された
・費用が高すぎる
などがあげられるそうです。特に産科での硬膜外麻酔はコスパが悪すぎて医療サイドが消極的らしいです。
このような現状を鑑みても今後もドッカーンとこの国で無痛分娩がメジャー化することは期待できなさそうです。


●「無痛分娩は本当にみんなが思うほど危険なのか?」

ここからは少しヘビーな内容になるので、出産に関してナーバスになっている方は読み飛ばしていただければ幸いです。
私の実母やお亭主が心配している硬膜外麻酔の危険性についてですが、もちろんJ大ほか全国で今まで一度も事故が起こらなかったわけではありません。
何例かは死亡症例も存在しています。でもそれは、麻酔なしの自然分娩でも、緊急帝王切開でも、危険が全くゼロのお産というものはありません。
お産直前まで何の問題もなかった方が、常位胎盤早期剥離という恐ろしい予測も不可能な症例で親子ともに亡くなってしまったケースを最近ネットで知りました。
人気海外ドラマ「ER」のシーズン1でも悲しい出産事故のエピソードが深く心をえぐりました。
アフリカでは妊娠・出産で16人に1人の女性がなくなているというデータがある一方で、日本では2万人に1人の女性がなくなっているそうです(年間約100万人が出産。そのうち50名ほどが亡くなっている計算)。
こんなに医療が発達している日本でさえ、2010~2016年の6年間で298名の女性が出産で亡くなられているそうです。そのうち13名が無痛分娩の女性だそうですが、麻酔が直接的な死因だった(麻酔中毒による)のは1名だけで、他は普通のお産だったとしても起こりうる大量出血などの予期できぬ原因だったそうです。
これらの数字を多いととるか少ないと取るかは個人個人の見解でかまいません。

しかし私が言いたいのは「麻酔をしてもしなくても、今の日本の医療ではどうにもできない事故や症例が起こっても不思議ではない、それがお産」ということなのです。
数字のデータだけで物事を判断するのは危険ですので、どうかいろんな専門家や経験者に裏付の確かな意見や情報を集めたうえで、吟味していただきたいと思います!


●「麻酔するの?しないの?私の出した結論は……」

実母やお亭主からの反対意見も一通り伺ったが、私の決意は揺るがなかった。費用なら自分で何とか捻出するし、たぶんこれが一生で一度、最初で最後の出産になるだろうし(年齢的に)、知り合いの無痛分娩経験者たちはこぞって「絶対無痛の方がいい。出産後の体の回復も早い」って絶賛してたし、何よりも高齢出産ハイリスク妊婦の私、出産は全治2か月の交通事故並みのダメージだそうで、もう若くないし出産後すぐに仕事復帰しないと生活が成り立たない。ダメージを少しでも軽減できて早めに回復できるというのなら、もう無痛を選ばない手はない!という考えでした。
いやね、実をいうと……20歳の時から赤ちゃん欲しくてほしくて、でも付き合う相手とは結婚できなかったり、夢を優先させたりしたせいでなかなか子供を持つことがかなわず、40過ぎて諦めかけたころにやっと待望の赤ちゃんを授かったという幸せは、人一倍実感していた私ではありますが、それでも!!おなかはどんどん大きくなって出産の日が近づけば近づくほど、「お産こええ~~~~!どんだけ痛いんだろう⁈鼻の穴からスイカ出すってよく聞くけど、そんなの想像もできない」と、喜びと同クラスの恐怖も膨らんでいたのです。


●「未知な領域への過大な恐怖との闘い」

普段は夫のジュニア君サイズのものしか貫通したことのない私のおまたから、3キロ近い物体がどこをどうやったら抜け出てくるのか。何百万年も前から人類のほとんどがそうやって産まれているにも関わらず、当事者になってみてから初めてわかる出産への恐怖。未知の領域過ぎて想像することさえできないのだ!
そう、私は極度のビビリだったのだ!
だんだんおなかが大きくなり、日常生活に支障をきたすほどのつわりやマイナートラブルの諸症状に苦しむ毎日、私は自分がとんでもないことに首を突っ込んでしまったと改めて恐怖を実感し思い知らされる日々。
もちろん、胎動を感じたり、おなかの中で胎児がしゃっくりをしたりすると、こみあげてくるいとおしい気持ち。
日々大きくなっていく我が子のエコー写真を眺めうっとりと幸せに酔いしれることもある。
だけどあまりにも日々の苦痛や出産への恐怖で、「中絶するか流産するかしない限り、このままおなかと、出産への恐怖心の巨大化を止められないんだ!なんという恐ろしい旅を始めてしまったんだろう」という絶望感に何度も襲われていたのです(これをマタニティーブルーという)。
そんな私の苦悩を、とりあえず和らげてくれたのが「無痛分娩」という魅惑のワードだったのだ!!
「私は無痛分娩を予約しているんだ。きっと痛くないはずだ。きっと難なくお産を終えられる」そう自分を励ますことで、マタニティーブルーから解放され穏やかな気分で過ごせる時間が生まれたのです。
なので私には、「無痛分娩」という魔法の言葉は生理痛の時のロキソニンのように、無くてはならないアイテムとなっていたのでした。


●「そして挑んだ初の出産。はたして本当に無痛で産めたのか⁈」

臨月を迎える前から、逆流性食道炎に気管支ぜんそくの悪化や後鼻漏、日に100回以上のゲップ、足がつる、胎動がすごすぎて眠れないなどの苦行が延々と続き、臨月に入ると酸欠が加わり、簡易酸素ボンベが欠かせない生活を余儀なくされていた私ですが、それでもフリーランスの身。
予定日の2週間前まで働いていました。完全に産休に入ってからは、なぜか海外ドラマの「ドクターハウス」や「ウォーキングデッド」をシーズン1から観なおしてみたり、白土三平の「カムイ伝」を読み漁るという残虐なコンテンツばかり欲する生活をしておりました。
産道を開くための妊婦さん体操をしたり、お産を促進するために近所中をうろうろと散歩して過ごす日々(歩くことで血行を促進し、血栓症を防ぐ効果&おなかの張りをすすめて子宮口を開く効果有り)。
あかちゃんはまだかまだかとソワソワする毎日でしたが、39週6日の検診日を迎えても一向に子宮口は固く閉ざしたまま。ドクターの指1本ほどしか入らない状態です。早く会いたいのに、まだ出てきてくれない感じ。焦る私はカツカレーを食べたりいきなりステーキで肉を食べてスタミナをつけていました。
するとその翌日の明け方5時に、突然尋常ではない痛みがやってきました。おしるしもばっちりです!「これ来た陣痛だ!」
予定日の前日です。早く会いたい!私たち夫婦は陣痛が5分おきになるのを待って、完璧に入院の準備をして午前11時ごろ病院にタクシーで駆け込みました。
「もう生まれますよね?はあ、はあ」
しかし病院についていろんなモニター機器を体に取り付けたとたん、陣痛が遠ざかってしまいました。
「まだ入院は許可できない。再び5分おきの陣痛がくるまで自宅で待機してください」と追い返されてしまいました。せっかく数か月も前から登録していた陣痛タクシーは無駄でした。
もう2度と追い返されたくなかったので、再び耐え難い陣痛が襲ってきて夕方の5時には5~3分おきの痛みになっていたにもかかわらず、じっと我慢して耐えていました。でもそこからさらに2時間、痛みが4~5分間隔のままでいい加減ガマンできなくなってきたので、再びタクシーでJ大に。
処置室という狭い部屋で再び計器を色々つけてモニタリングをしてもらい、内診でも子宮口は2センチ程度。
「せめて3~4センチ開かないと麻酔はできない」と言われ、私もお亭主も半泣きになっていると、ようやっと「入院しましょうか!」と許可をもらえました。
この時点でも陣痛の痛みは結構きつかったのですが、「もうじき産める、なにかあっても病院だしいざとなれば麻酔がある」という精神的安ど感ですこしゆとりがありました。


●「無痛なのは分娩のみ。陣痛はものすごい痛さ!!」

次は陣痛室という小さな個室に通され、水を飲んだりバナナを食べたりできていました。お亭主とも会話をできる状態でした。
しかし、カーテンのみで仕切られている隣の陣痛室からは、終始「痛い~、痛い~、う~ん、う~ん」という悲痛な妊婦さんの悲鳴が常に聞こえてきます。私も痛いは痛いのですが、自分も声を出して「痛い」と言っては、隣の妊婦さんと「私の方が痛い」と競ってるような感じになるのではと思え、遠慮して我慢してしまいました。
とにかく私たち2人が気の毒で心配になってしまうほど、隣の女性が叫びまくっていて私は可愛そうで涙が出てきました。
本当に早く何とかしてあげてほしい!いや、私だって痛いんだけど、あんなに悲惨な声をあげて頑張っている女性が私の声を聴いたら同じように気の毒に思わせてしまうのでは、私は静かに耐えようと、顔も知らない仲間にいらぬ思いやりを発揮していたのでした。

深夜を迎え、途中で一度助産師さんがやってきて内診してくれたのですが、「まだ2~3センチってところだね。まだまだだね」といい去っていきました。
うそでしょお~!もうすでに地獄の拷問を受けているような痛みだというのに!
丸2日間、ろくに睡眠をとれていないのでうつらうつらしながらも、ひたすらに痛みに耐える時間。食事ももうできない。トイレにいくにもやっとかっと。
痛みの波がピークの時は息ができなくて、目を開けていることもできない。
苦しいので「ハフハフハフ」と息をしていると、看護婦さんから「ゆっくりハアーーーーーーーっ、と息をしてください。それだと過呼吸になっちゃいますよ」と指導を受けるも、どうしてもハフハフしてしまう。
「陣痛がこんなにしんどいなんて、誰も教えてくれなかったし、たまひよのどこにも載ってなかったぞ!嘘だろ、私が一体前世でどんな悪行をしたからこんな目に遭わなきゃならないっていうんだ!」と1人脳内で何かにブチ切れ続けていた私。


無痛レポートその2


●「体を大型ダンプカーに往復で轢かれているかのような痛さ」

ちなみに、どんな感じで痛むのかを解説しますと…
まず、最初に「どーん」と、痛み(爆発)の規模がどれくらいのが起こるのかが感覚でわかります。大まかにいうと大・中・小、みたいな感じです。
実際に陣痛モニター計器のグラフの針がふりきれるとMAXの痛みが来ます。まあ、他の人がそれを目で見てもわかる感じになっています。

「あ、今からくる奴(波)はレベル大だ!」と察知します。
「ハッ、ふう~~~~~」と吸って吐く呼吸を1セットを、だいたい6回ほどで頂点(MAX)に達するだろうと予測します。
実際その呼吸をしながら6回カウントします。そこを乗り切れれば、波は次第に山の波形の頂上を通過し、小さくなって引いていきます。なので、頂点を迎えさえすれば、楽になれるとわかっているので気分は楽になります。
このメンタル操縦法により、次に来る痛みの波を予測、カウントして乗り切る、というサーファー的テクニックを短時間で身につけなんとかやりすごしていました。
波と波の間の長い休みの合間に、うとうとしたり、会話出来たりします。
しかし、これが通用したのははじめのうちだけで、私はすぐに絶望のどん底に突き落とされてしまうのです。


●「メガトン級の痛みで人間としての思考停止」

2分とか4分の休みの後に、60~80秒くらいの痛みの波(小・中レベル)が襲ってくると想像してもらえればわかりやすいと思います。2分とか4分の安らぎの時間のうちに、体位を替えたり会話ができていました。夫や看護婦さんに腰をさすってもらうとすごく癒されました。
しかし、だんだん痛みが大レベルになってくると、心が折れてきます。
大レベルの痛みが続き、もう中・小が来ることはないんだという現実が「もう死にたい、殺してくれ」という気持ちにさせます。
この世にこんな地獄が存在したのか…
出産直前まで愛読していたマンガ「カムイ伝」で、百姓一揆を首謀した村人の代表が、お役人からものすごい拷問を受けた末に殺されるとか、処刑されるという残酷なシーンをひたすら思い浮かべて「あれよりはマシ」と思い込もうとする。(この時のためにああいった悲惨なコンテンツを私は欲していたのか。腑に落ちる)
そうやって自分を励まし続けるが、それももはや限界に近づいてた。

ついに、悪魔の最終兵器が登場してきました。
私のささやかな、ちゃちい波乗りテクニックの裏をかき、波の頂点が来たのに、波が小さくならずひたすら持続するという陣痛の真骨頂が姿をあらわにしました。
それまで山のような稜線を描いていたグラフの波形は、台形になって針が振り切れたままだった。
ゲームのラスボスが登場し、もう何をしても倒せない、何度も殺されるのにエンディングが見えないあの絶望感。
私はこの痛みにメガトン級が存在することを知りました。
うまく表現できないけれど、あえてお伝えするならば、それまで大型ダンプカーが、自分のおなかを轢いていき、さらに再び戻ってきて往復で轢かれて瀕死なのにそれを繰り返される。そしてとうとう、そのダンプカーは私のおなかの上で停車した。そんな感じ。
「え⁈なんで停まってるの?…」
パニックになり人としての思考は完全停止し、ただ生物として生存することを悔やむのみ。
「お願いだから死なせてくれ…無理だ…」
声も出せず、一歩も動けず返事もできない。私はただ岩のようにそこにいるのみ。

次回、いよいよ赤ちゃんと対面!硬膜外麻酔は本当に効くのか…

その2 に続く!


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