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クラシック怖い ヘビメタ眠い

[2954文字]

若いころ

寝なきゃいけないのに眠れない夜
一時期よくやっていた事があります
もちろん一刻も早く寝る為です
それは
ヘッドホーンでヘビーメタルを爆音で聴く事です
何故そんな事をするようになったのか
何故そんな状況で眠れるのか
不思議に思われるでしょうね
当時本人の僕も不思議だなぁと思ってました

そこから

遡ること数年
ある日仕事でとある楽曲のコピーしていた時
それがヘビーメタルな曲で
いつも通り音をスコア譜に落とし込んでいたのです
疲れていたせいもあったのでしょうけど
採譜中にどうしても途中で寝落ちしちゃうのです
いかんいかんと思いもっとボリュームを上げるんですが
もうほぼ催眠術の様に舟を漕いでしまいます
両頬を叩き目薬を大量投入しシャワーを浴びても
一定の時間が経つとウトウトッとしちゃうんです
それでも仕事ですからなんとか終わらせましたが
そういうことがあった後
ヘビメタを聴いてると
特にヘッドホーンで聴いていると
なぜかどうしようもなく眠くなると気付いたのです

これとは別に

子供の頃から僕はクラシックを聴くのが苦手でした
聴くのが苦手という表現は変に聞こえるでしょうけど
実際クラシックを避けるようなところがありました
何故かというと
怖いのです
どんな経緯でそうなったのかは分からないのですが
物心ついたころは既にそうでした

クラシックの何が怖い

かというと
音圧差です
音量差といってもいいでしょう
単に音圧とか音量ではなく
差です
この差がとても怖い
ストリングスが静かに綺麗な旋律を流していたかと思うと
突然ブラスやティンパニー シンバルでバ~ン!て来る
これがとっても怖いのです
美しく静かであればあるほど
いつドカンと来るのかとつい身構えてしまい
楽曲の作者や指揮者の意図にはない
「恐怖心」が曲全編を通し支配するのです
ドカン!と来るところもそうですが
静かなパートでも一人心臓をバクバクさせているのです

僕はよく

クラシックをお節料理に例えます
お節は特別な料理です
しかし子供が好きそうな品は栗キントンかだし巻きぐらいで
その他のどれを口にしてもイマイチ
というより子供の舌ではどれもむしろ不味かったものです
そうすると当然箸はすすみませんよね
しかしいつかきっと大人になればどれも美味しく
食べられるようになるのだろうと思っていたのですが
アラ還になった今でも一向に食指が動きません
そのくせお節料理ってどこか日常の料理と比べ品位が高く
有難がって食べねばならなく
ホントに勝手なイメージなんですが
己の正当性、本流性を誇示してくる印象が付きまといます
クラシック好きの人には申し訳ないのですが
僕的にはお節とクラシックはよく似てるんです

じゃあヘビーメタルが好きか

というと
正直言って好き好んでは聴きません
好みじゃなく退屈だから眠くなるのかと言うと
決してそうじゃないと思っています
それなら好みじゃない曲全般で眠くならなきゃいけませんが
催眠術の様に眠くなるのは何故かヘビーメタルのみ
これについて自分なりに考えた結果
数十年前にある信ぴょう性のある推測にたどり着きました

ヘビーメタルって

だいたいの場合
最初っからドッカ~ン!バッタン!ギュ~ン!でしょ?
ほとんどの場合はその調子で1曲が終わります
つまり音圧はあっても音圧差は無いのです
僕にしてみればそれってすごく安心で
大抵のヘビメタを聴くと油断した気持ちで居られます
それに音の情報量が少ないんですね
奥行き感がなく全ての音が最前面に張り付いています
各楽器や歌、SE(効果音)の音は
もうこれ以上大きく出来ません!っというくらい
ぱっつんぱっつんにコンプレッサーで圧縮されていて
音にもし形があって触れるなら
手頃に膨らんでる風船のようです
決してチクチクざらざらしてなくて
僕にとってヘビメタは安全な手触りなんです
音楽的には何故か様式美を重んじていて
突飛なコードやメロディにはほとんど行きません
これは単調且つ非刺激的である上に(個人の意見です)
次に何か怖いものが来るという不安感がなく
しかもそれをヘッドホーンで聴いていれば
外の音情報も完全に遮断されるし
かと言ってゆっくり何かを思考できる状況でもなく
あと僕に出来ることは寝る事だけだったんだと思うのです

人間の耳は便利

に出来ていて
電車の行き来が激しい鉄橋高架下での
大掛かりな道路工事脇を
大型トラック行き交う幹線道路に立っていても
不要な音は遮断するという脳の機能があります
機器で音量を測ればきっと信じられないほどの数値でも
脳は適度に不要なノイズをキャンセルしてくれていて
思ったほどの音感的ダメージはありません
(物理的ダメージはありますので大音量は基本的に危険です)
そんな中でもちゃんと人と会話が出来たりします
しかし突発的な音圧差に対して脳は対応できません
何が起こったのかを探るために音情報も細かく探ります
こうなると音は大変うるさく感じるのです

クラシックは

恐ろしい程の音圧差と
音情報量で迫って来ます
音そのものによる表現力ももちろんですが
鳴っていない所やとても静かな所が曲者で
つまり小説で言う所の「行間」にモノを言わせて来るんです
小説や映画でもほら来るぞ来るぞ~?的な
そういう場面って絶対静かじゃないですか
キラキラした様な美しいフレーズや
細く高音でやっと鳴っている様なバイオリンの音などは
もう僕は息が詰まりそうになり心臓がドキドキしてしまって
出来ればドカ~ン!って来る前にヘッドホーンを外したり
オーディオのスイッチを切ったり
席を立って小走りに会場を抜け出したくなるのです

なので僕は

精神衛生上
ほとんどクラシックを聴きません
子供のころからも、音楽が仕事になってからも
ほとんどクラシックは聴きません
モーツァルトはまだしもバッハとかハイドンとかの
比較的明るい楽曲も怖いのです
ストラビンスキーとかはもう本当に勘弁です
ベートーベンも音圧差の激しいアレンジが多くないですか?
本当に心臓に悪い曲が多いのです
本当はもっとクラシックは聴いた方がいいのでしょうけど
長年のイメージもあってなのか
なかなかゆっくり聴く事が出来ない特異体質です
でも(なので)サティは聴きます

そして

ヘビーメタルに対しても
もともと聴く趣味はなかったのですが
睡眠導入的に自ら聴く事もなくなりました
結婚してからですからもう30年以上です
結婚して眠れる安穏な日々が続いているという訳ではありません
横で妻が僕のヘッドホンから音漏れしている音が
どうにもうるさくて仕方ないのでやめてくれというのです
確かにイヤホンやヘッドホンから小さく音漏れしている
あの蚊のバンド演奏のような音って気になりますよね
音量や音圧ではなく音情報がうるさいパターンです
人のひそひそ話とか蚊の飛ぶ音とかオッサンの貧乏ゆすりとか
もううるさいったらありゃしないですよね
そう思うと人が感じるうるさいとか静けさとか
美しいや恐ろしいっていう感情や感覚って
簡単には一括りにならないものだと良く分かります

つまり僕の脳

にとってヘビメタとは
たぶんほぼ不要な情報なので
それらをシャットアウトしたらあとは睡魔しか残らなかった
という訳なのでしょう
半面クラシックは
音量差や音情報量が激し過ぎて
全てを解釈できないアンアイデントファイドな
恐怖を煽るもの
という解釈になっているのでしょうね

松尾芭蕉の

「閑さや岩にしみ入る蝉の声」
という有名な一首
その場の空間と読み手の心持がストンと腑に落ちますよね
そう考えればまた楽曲に加えるアレンジも
セオリー的に言われている通りに
隙間を音で埋めればいいというものではないという事が
こんな事からも分かったりするものです
究極は音の鳴らない所をアレンジする
という事なのでしょうか
まだまだ精進せねばなりませんな