ビビを見た!

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『ビビを見た!』という挿絵がやたらおどろおどろしい子供向けの絵本がある。
絵本だからか、子供向けとなってるが子供にはトラウマ級インパクトの本だ。

主人公の少年は生まれつき盲目だ。しかしある時、とある声の通り7時間だけ目が見えるようになる。しかしそれと入れ替わりに世界中の人の目が見えなくなってしまう。そんな時突如街に大男が現れ次から次へと人々を襲う。人々と共に電車に乗って逃げ惑う中、少年は1人の妖精のような少女と出会う。

これ以上はネタバレになるので書かない。

この終わりの見えないコロナ禍や、米国の警官による黒人殺害に端を発した騒ぎ、世間の誹謗中傷に命を奪われる少女や、無能で勝手放題の政治家と官僚など、そういった事件や出来事を知らされた多くの人々は、それぞれの意見や怒りなどを自由に発する。しかしこの中に本当の答えを知っている人はきっと居ない。

目が見えないまま大男から逃げ惑う人々。襲われているのだから逃げるのは正しい。それぞれが思うまま思う方向へ逃げればいい。しかしそれが本当に正しい方向なのか、正しい逃げ方なのかは誰も分からない。分からないのは当然で、みんな目が見えないまま手探り当てずっぽうで逃げているわけだから。

もし今この場に唯一目が見えているこの少年が居たらどう思うのだろう。追ってくる大男、つまり現代の問題のその姿に本当の脅威、または案外脅威ではない何かが見えるかもしれない。的確な逃げ方や対処方法が分かるかもしれない。現実や真実が集団心理の中で何も見えなくなってしまう事の恐ろしさこそが、本当の恐怖かもしれない。

その昔座頭市という時代劇があった。主人公の拝一刀(おがみいっとう)は盲目だ。我が子大五郎を乳母車に乗せて旅をしている。案の定行く先々でいろんな事件に出会すが、大五郎の純真な目と自身の心の目でどんな事件もかわしていく。彼の忘れられない台詞がある。「目明きは不自由よのぉ」。なまじ見えているだけに偽物でも間に受けてしまう。またそれを知っていて陥れようとする輩も残念ながら一定数存在するこの世界だ。

我々がこの目で見て知っていると思っているニュースや知識は、本当に真実や現実に忠実だと言えるのか。ほんの少しでも誰かの都合や思い込みによって事実や真実が曲げられてやしないか。そもそも真実や事実とは、一体誰の言葉から発せられたものが一番信用に足るものと言えるのか。あなたのその目で見たという事実は、果たして位置を変えて見たとしても同じ事実と言えるのか。この『ビビを見た!』のおどろおどろしい雰囲気や拝一刀の言葉に、自分が真実と思っているこの現実がふと不安になる。

この盲目の少年が期間限定で見た現実世界は、きっとそれまでに知っていた筈の世界とはまるで違い、奇怪で曲解に満ち満ちた恐ろしい世界だったに違いない。この絵本の作家はきっとそれが言いたかった筈だと思う。しかしこの絵本はそれまでの流れからすれば、思いもしない意外な結末で終わる。少年は最後に妖精のような少女の美しさをしみじみと見て、とても温かい気持ちになってめでたしめでたしとなる。少年の現実逃避とも思える終わり方だが、これはきっと人間は人の心を見て判断して欲しいという作家の希望で締め括ったのだと僕は解釈している。ここのところが唯一子供向けの絵本である所以だと感じる。しかし現実はどの時代もそうはなっていないのでもどかしい。

実際のところこの絵本は、親を含む大人の横暴と、その被害に遭う子供たちの悲惨さや葛藤を描いたもの。
図書館にもある絵本なので、機会があれば読んでいただければと思うインパクト強目の一冊である。

https://twitter.com/sf70687131/status/1267650835992809472?s=21

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