ド素人が考えた!訂正報道のありかた

先程、このような記事を書いた。

じゃあどうしろというんだ!と言われそうなので、報道にかかわっていないド素人ではあるが別の記事で考えを述べさせていただく。

と述べたとおり、報道の仕事には一切かかわっておらず、現場を知らないド素人である私だが、「いち情報の受け取り手としてこうした方が良いのでは?」と思うことを述べさせていただく。
 もちろんど素人の考えなので「それはできない」というものもあるだろう。そこについての指摘や批判は受け入れる。むしろあるならばガンガン出していただきたい。

なお、これについては「事実と異なる説明をした」「印象操作と言われても致し方のない報道をした」などというケースに限定する。
 「人名・地名の漢字が間違っていた」程度(というと失礼だが)のミスであれば簡単な謝罪でよいだろう。「映像を取り違え、無関係の人を容疑者であるかのように取り扱った」場合は簡単な謝罪では許されないが。


1.誤った情報を伝えるに至った経緯を説明する

 上記に上げた例で朝日新聞が行っていたように、「なぜ誤報になったのか」を説明するのである。
 「間違ってました、ごめんなさい。ハイ謝罪した!もうこの話終わり!」は通用しない。「なぜこんなことになったのか」を自己分析し、「○○が原因だった、次から××という対策をして二度と繰り返さないようにします」と言う必要がある。でなければ、また繰り返す恐れがある。
 さすがに「なぜ間違えたか」という分析とそれを伝えることができない(隠さなければならない)、謝罪するだけで終わらせなければならない、という報道機関は存在しないと信じたい

2.訂正および経緯説明は誤った情報を伝えるのにかけた時間・スペースと同程度は割く

 単純に言えば、TVの情報番組で10分かけて「◎◎氏は××した!」という話題について語り、それが間違っていたならば「◎◎氏が××したとお伝えしましたが、誤りでした。申し訳ございませんでした」「このような事実と異なることを伝えるに至った経緯は~」ということを伝えるのに10分はかける。もちろん、「同程度の時間内に収めなければならない」という話ではない。1分のニュースでもお詫び、訂正に10分かかるならばそれはそれでよい。
 新聞は一面記事で誤報を流したならば、訂正・謝罪する日の一面には訂正・謝罪記事を持ってくる。その際に、記事の隅にたった数行「間違っていました。正しくは××でした。お詫びして訂正します」だけでで終わらせるのではない。トップ記事で間違えたのならばトップ記事のスペースを使って訂正するべきだと私は考える
 「大きく誤報、小さく謝罪」は断じて許すべきではない間違いを訂正し、事実を伝えるために”全身全霊をかける”ことこそが重要だというのが私の持論だ。

3.訂正したという事実を、後からでも皆が見れるようにする

 どういうことかと言えば、「番組内で謝罪したから終わり」「訂正記事を出したから終わり」「当時見ていない?それは見ていない人が悪い」というのではなく、後からでも「訂正した事実」を知ることができるようにするのである。
 具体的には
・公式Twitterや公式HP内で謝罪及び訂正。そこへのリンクはページトップに貼る。
 ということを私は挙げる。
 謝罪はしたがHPトップにリンクはないから訂正の事実が分かりにくい、などという事態は起こさないようにするのだ。
 新聞各社はほぼこの対応をしていると感じるが、TV情報番組はしているところは少ないのではないだろうか。
 せっかく局だけでなく番組独自にHPやTwitterを持っているのだから、そこでも謝罪すべきである。

4.責任者に謝罪させる

 これは特にTVにむけての提案だ。各情報番組での謝罪・訂正はアナウンサーが行うことがほとんどで、責任者や恣意的な編集を行った人間は謝罪しない。言ってしまえば、アナウンサーを隠れ蓑にしているのである。
 セシウムさん騒動やあるある大辞典の時は責任者が出てきていたのだから、表立って出ることが100%不可能ということはないだろう。
 事実と異なることを報道し、人の名誉を気づつけたのならばそれ相応の責任を報道機関が負うべきだ、と考えるのは過剰な期待なのだろうか。
 間違いを起こした張本人が出てきて説明せよ、という声もある。場合によっては必要になることもあるだろう。だが、「それでは間違いを起こすことへの恐怖で報道が委縮する」というマスメディア側の意見が出てくることにもうなずける。だからこそ責任者が出てきて謝罪するのだ。

 いかがだろうか?私としては「このくらいはできるんじゃないの?」と思っていることなのだが、何度も述べているようにド素人なので「いや、それはできないことだ」というものもあるだろう。
 そういうものについては、「◎◎という意見は××という理由からできない」とご教示いただきたい。
 また、情報の受け取り手である私と報道機関では「誤報」に対する認識の差があるかもしれない。もし気づきがあれば、それもぜひ教えていただきたい。
 仮に「誤報はしょうがないこと。報道という大義の前では致し方のないもので尊い犠牲なのだ」「あまり誤報について突っつかれるとやりづらくなる。ちょっとくらい名誉を傷つけられたからと言って騒がず泣き寝入りするべきなんだ」という考えであっても、遠慮せず意見をお聞かせ願いたい。

 以前の記事でも書いたかもしれないが、私はマスメディアアンチではない。むしろ、マスメディアの重要性を知っているからこそ、「しっかりしてくれ。信頼を失うようなことをしないでくれ」「マスメディアが完全に信用を失えば世の中はとんでもないことになる」と考えているからこそ、このようなことを書いている。そこだけはどうかご理解願いたい。

 最後に。この記事のみならず、今までに書いた記事は、「ふと思い立って、感情の赴くまま書いている」ものである。
 そのため流れがあちらこちらに飛んで分かりづらかったり、誤字脱字があったりと稚拙で読み辛い文章になっているだろう。
 そこについては申し訳なく思うが、「自分が今感じている事」を表現したくこのスタイルをとっている。ご容赦いただきたい。誤字脱字については指摘していただければコメントに気づき次第訂正させていただく。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?