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【日記】 サヨナラだけが人生だ

筆者はついに半年間取り組んでいた懸案の書き物を完成させ、一昨日、無事に提出することができた。

小説家・井伏鱒二のように「サヨナラダケガ ジンセイダ」と言えるが、実際サヨナラをすると案外しんみりするものがある。

まず、書き物をする上で「テーマ」を考えなくてはならないが、これがなかなかに決まらなかった。「これがやりたいナァ」というボンヤリとした願望があるが、なかなか可視化、文字化することができない。

さらに独りよがりが横行し、指導教官の意向を無視すれば、学問的破綻にもつながりかねない。

そのため、何度も書き直しをせねばなるまい状況となった。「これは難しいヨ!皆さん」

しかし、なんやかんやで提出が終わった。結果は進捗の早さも遅さも努力量も関係ない、血も涙もない厳格な審査が行われることで、全てわかるのである。

現在、筆者はひっそりとアパートにて、これから来る卒業審査と別に来なくてもよい「社会」に備え、籠城している。だがしかし、食料は尽きた。洗濯もせねばなるまい。サリンジャー『ライ麦畑をつかまえて』も読んでいるが、いまいち話の掴み所が分からない。

そもそも、読者には懸案の書き物がなんだ?と思われるかもしれない。しかし、それには今まで歩んだ人生や、チャチな大学時代の記憶といった「デーヴィッド・カパーフィールド式」のくだんない話から始めなければならない。したがって、筆者はめんどくさいため、書き物の正体を明かさない。端的に、厳密に、簡略に述べても、筆者は述べない。

なぜなら、小っ恥ずかしいだけだからである。





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